ライブ四方山

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箸休め記事です。

 

ハニストのリアルライブ開催が決定、日付や場所も発表となりました。こういうイベントで、どれだけ消費者の重い腰を上げさせられるかが、その後の経営方針を大きく左右することでしょう。

個人的な話でいうなら、行くかどうかは五分五分です。散々あーだこーだ書いといて何をこの野郎、とお思いになるかもしれませんが、割と薄情な人間なので仕方ありません。そもそも、あっという間に定員の可能性だってあります。

 

蒼月エリがいれば「あのレベルを生で聴いたらどんなもんなのだろう」と興味が湧いて、行くほうに傾いていたでしょうね。念のため書くと、蒼月エリを過大評価してるわけではありません。彼女は彼女で、音楽活動を本職とするなら、声域の下限を鍛えるか、コントロールできる音域内で工夫した曲作りを覚えるかが必要です(これに関連して、『蒼い蝶』の疑問についても一応の結論を得ました。リズムがややトリッキーだったのは、ボーカルの音域が狭かったから。メロディーで幅が出せない分、リズムで攻めなければ単調になっていたはず)。あと、媚びたようにきこえる歌い方が(意図したときもありますが)つい出てしまう癖を治さないと、女受けの悪い女性シンガーでは生きていけません。

 

 

そもそもライブの存在意義って、何でしょうね。わたしは、音圧を感じられるかどうかとか、デジタルに圧縮されてない生の声や音を聴けるかどうかとかだと思っています。vtuberのライブは、そこらへんの保証がありません。生の姿で出られない以上、全部スピーカー越しという可能性が大変高い。そして、音楽のプロというわけでもない。いや、別に否定しているわけじゃなくて。ニーズはあるでしょう。でも、本当の(信者に近い)ファンじゃないと、満足感は薄いと思います。

 

この手のライブはほぼ行ったことがないのですが、割と最近に一度だけ経験しました。vtuberではありません。

周防パトラの前名義での(結果的に最後となった)ライブ、これだけです。もちろん、周防パトラとして見事な復活を遂げたことと、もうひとつ、鈴木ヒナの中の人も出演予定だった(結局体調不良でドタキャンでしたが)ことに興味を持ち、なんとなく。行って初めて知りましたが、ファン同士のつながりはかなり強いようで。転校初日みたいな居心地の悪さ…。

でも、こういう世界もあるのだと知れたことは収穫でした。やはりというべきか、周防パトラの「おもてなしの精神」

みたいなものは、エンターテイメントを提供する側として何年もやってきている風格を感じさせましたし。

 

 

諸々勘案するに、今の時点でハニストライブにこれという引きはありません。これからどれだけ押し上げられるか、見ものですね。

ときのそらと「若さ」

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本当は、カモミより先にときのそらの話をするはずでした。といっても、大した話ではないんですが。人並み程度のことしか知りませんし。黎明期はvtuberの人数も少なく、今のように生放送主体ではなかったため、一通りチェックはしていた…その程度の理解。溺れないように、浅瀬でちゃぷちゃぷさせていただきます。

 

 

ときのそらは、初めからアイドルを名乗っていた数少ないvtuberです。当時にしては珍しく生放送主体でしたし、「交流できる身近なアイドル」路線が念頭にあったんでしょうかね。もっとも、彼女自身は歌で認められたいという思いが強いようです、昔も今も。ひとつだけ、致命的な欠点を指摘させてください。

 

彼女は、あまりにもハイトーンにこだわりすぎる。当時もファンからの「高音無理してるよね、もっと自分に合った曲のほうがいいんじゃない?」という意見が散見され、「私の技術不足は認めるが曲を貶さないでほしい」というやや噛み合っていないお気持ち表明をした経緯があります。わざわざ見に行って意見するほどの消費者、色眼鏡で多少は大目に見てくれそうな、「あばたもえくぼ」のファンですらそう感じるのですから、一般的な感覚や反応は推して知るべし、です。

 

仕方のない面もあります。ある年齢より下の世代は、ボカロに強く影響を受けている。声域や演奏し易さは無視した曲作りも多い。それはそれで、意味のあることです。物理的制約を一旦取っ払ってみたからこそ、生まれる音楽もあったでしょう。しかし、そこを音楽の入り口にした若者たちが、いざ自分の身体で音楽表現しようとすると、本来ならずっと手前でぶつかっていたはずの壁が唐突に立ち塞がります。その障壁と格闘するなかで、うまく折り合いをつけたり、自分の足りないもの・人より優れているものを把握したり…誰しも、そういう雌伏の時期が必要です。彼女の場合は、ボカロや歌い手文化に強く影響されたのか、もともとそういう趣味嗜好だったのか分かりませんが、とにかく高音をバシッと出せることこそ「歌が上手い」につながるのだ…と思い込み、無為な格闘を繰り返しているように見えます。

高音が出るとか出ないとかは、そりゃボイトレもあるでしょうが、基本は管の長さ次第です。ピッコロは高い音が出るし、チューバは低い音が出る。あとは声帯の具合。ただそれだけのこと。

ボカロの原キーなんてのは、宇志海いちごとか、ごく一部の恵まれた人に譲ればいいのです。そういえば、「未成年のみのYouTubeライブ禁止」というニュースを見かけましたが、本当なら宇志海いちごはどうなるんでしょうね。そもそも、採用時点でまだ高校生にもなっていない人を配信者として雇うこと自体、個人的にはクエスチョンマークですが…。22時以降の深夜帯労働(配信)も、グレーゾーンという気がします。これ以上立ち入ると長くなりそうなので、vtuberと年齢の関係については、また後日にしましょう。ひとつだけこの記事と関係ある話でいうなら、ボカロに抵抗があるかどうか、積極的か否かは、年齢やバックグラウンドを自然と映し出していますね。

 

 

さて、ときのそらに戻りましょう。彼女のハイトーンに対する、一種病的なまでのこだわり(ほとんどコンプレックスです!)、歌で認められたいという思い、そこにはもう一つの要因があります。

 

アイドルだから。彼女が、アイドルを名乗っているから。

 

以前にも散々書いたのでもうご存知でしょうが、アイドルとは、なかなか凄まじい職業です。普通、仕事の出来不出来と人間性は無関係。525本の本塁打を放っても、麻薬に溺れたりするわけですから。まあ、麻薬と人間性を直結させるかどうかは置いといて。仮に仕事ができなくても、「あいつちょっと仕事はトロいけど、めっちゃいい奴なんだよ」と言える。

けど、アイドルはその言い訳が効かない。「アイドルとしての人気=その人の人間としての魅力」と、思われやすい。また当人も、アイドルとしての評価からモロに人間性を値踏みされてるような気がして、心を病みやすい。実際のところは、どうなんでしょうね。アイドルにはアイドルなりの技術がある、とわたしなら思いますが。サービス業、広く形のないものを売る商売は、ここらへんごっちゃにされやすい。配信者もそうです。たしかに、その為人に触れてファンになるという話はよく聞きます。でも、人間性で仕事できるわけもなく。その人なりの技術や培ったものが発揮されるかどうか、ではないでしょうか?…とはいえ、あまり自信はありません。

 

で、話を先に進めると、こういう商売は仕事ぶりというのが正当に評価されにくい。

福山雅治は、もともと歌手になりたくて上京した。けれど、才能が認められず、顔が良いから役者やらないかと言われてひとまず芸能界に入り、地盤を固めたのち、当初の目的だった歌手活動をするに至った。一度迂回しながら、目論見通りのゴールに辿り着いたわけです。それでもやっぱり、「歌手:福山雅治」にスポットライトが当たることは少ない(オファーやライブはたくさんあるでしょうけど)。「へー、イケメン俳優の福山雅治が音楽活動もしてるんだー」という理解に、どうしてもなりがち。別に、歌手:福山雅治が特別優れているとは思いませんが、議論の俎上に載せられることすら皆無です。

 

山口百恵やら松田聖子みたいな時代ならともかく、今の時代、アイドルを名乗って歌唱力などの正当な評価も得たいというのは、土台無理な話です。そこら辺の割り切りというか、大人になるときが、いつかときのそらにも求められることでしょう。

 

 

しかし、せっかくですから、その貴重な「若さ」ゆえの踏みとどまりに今しばらく眺め入るというのも、なかなかどうして、乙なものですね。

サライの代わりにふぁんふぁーれを

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急遽予定を変更してお送りします。

話題は、そう、あにまーれ24。

初めはそんなに興味なかったのですが、なかなかどうして。ざっくりとですが見させていただいたので、ざっくりなりの感想を。

 

まず、演者裏方含めて皆さんタフですね。お疲れ様と言いたいところですが、そんなこと言える立場でもないので。お疲れの出ませんように、とだけ。

実務的な面でいうなら、全体に音量が小さかった気もしますが、機材・インターフェースの問題でしょうがなかったのか、4人マックスのボリュームを考慮しあえて抑えめにしていたのか。気になったのはそのくらいです。

 

次に、因幡はねる。長いキャリアを通じてチームプレイとは無縁だった彼女が、曲がりなりにもリーダーとして一年務め上げ、自らの新たな側面をなんとか開拓しつつあること、これは非常に興味深い。デビューからの紆余曲折、PUBGカスタム絡みのゴタゴタであったり、ハニスト発足後の焦り、そして稲荷くろむ引退前後の特にNGなし配信あたりを経て、よくここまで来たものだと部外者ながら感慨深いものがあります。紆余曲折については以前も触れたので、この程度にしときましょう。

 

次に、宇森ひなこ。なんだか、昔と声変わりましたね。最初のころはまさに超音波って感じの声でしたが、今日聞いていたら、時々宗谷さんと聞き間違えるくらい。私の耳が老化した、という説も捨てきれませんけど。

 

次に、宗谷いちか。この人は特に言うこともないのですが。安定してますね。体力も人一倍。自分でもいつか言っていましたが、駆け出しのころはどこか手を抜いていたのが嘘みたいです。動画編集能力も、他人から依頼されるほど秀でているのに、ずっと出し惜しみしてたり。この能力の有無は、その配信者の行方を左右するくらいには重要なファクターなのですが、あまりこの界隈ではフォーカスされません。たいてい、ファンが作ってしまうから。優しい世界も良し悪しです。これは別途記事を設けましょう。

 

最後に、日ノ隈らん。相変わらず、大人びていますね。空気の読み具合といい、バラエティを成立させる陰ながらの努力

といい。そして、なんとも3D映えするvtuberです。ミニマルなサイズ感、小動物チックな挙動の数々。癒されました。

ついでなので述べると、3D体と演者の身長というのは切っても切れない関係にあります。みゅみゅ氏がミライアカリの3D体に入り込むシーンをご覧になった方ならお分かりかと思いますが、3D体と演者の身長に乖離があった場合、トラッキング諸々が怪しくなります。みゅみゅ氏の場合は、猫背になったり、足が埋まったり。かつて稲荷くろむが大幅アップデートで劇的に身長を伸ばしたのは、おそらくそのためです。3D化も視野に入れるなら、中の人の身長に近づける必要がありますから。真相は闇の中ですけどね。

日ノ隈に戻ると、あの愛玩動物的可愛らしさに加え、地上波のバラエティ企画を輸入する流れを作ったことも、今回のあにまーれ24に一役買っています。最初は食わず嫌い王でしたね。その後、因幡はねる主催の学力テストへと続き、今回のあにまーれ24。着々と、既存のエンタメを吸収していっています。

 

 

願わくば、あにまーれが長生きするコンテンツになってほしいものです。

プロとカモミとワナビーと

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投球イップスはよく知られていますが、どうやら文を書くのにもイップスがあるようで。書こうと思っても書けない。だからといって、特に困るわけでもないのですが。酔狂や道楽で、無責任に書き散らしている身ですから。

 

イップスというのは、ゲシュタルト崩壊みたいなものです。本来の用法でいうなら、無意識に出来ていた動作が何かのきっかけでぎこちなくなり、意識すればするほど難しくなる。しまいにはトライすることすら困難に、そんな感じ。

きっかけは色々あるでしょうが、突き詰めれば技術的な問題です。よくメンタルの問題と捉えられがちで、それも決して間違いじゃないとは思いますけどね。

結局は、自分のやり方を言語化・客観化・定量化出来ていないから、いざ迷子になったとき、立ち戻るべきふりだしがない!ということになるのです。きっかけはメンタルかもしれませんが、根っこは技術です。たぶん。

それに、そう考えたほうがまだ救いがあるでしょう?

 

 

プロとアマの一番の違いは、能力の差もそうですが、それ以上に「否応なく出番がやってくる」かどうか。調子が悪かろうが何だろうが、仕事として契約した以上、期日があれば期日通り、一定の基準を満たした仕事をこなさなければならない。トッププロなら、調子を崩すことすら許されないのでしょう。村上春樹の文章は特に好みではありませんが、彼の倦まず弛まず習慣として書き続ける姿勢は、さすがプロの物書きだな〜と素人ながら感心します。彼はランニングが趣味(の域を超えつつある)ということも有名ですが、継続的に物を書くことと連動している。多くの人は、じっとしたままでは文章をバリバリ書いたりできないようになっています。もしこれといった運動もせずにたくさんの文を書ける人がいるなら、間違いなく天賦の才です。有効活用なさって下さい。

 

自分の話に戻るなら、そんな大層なあれではなく、単純な体調不良、あと無理にネタをまとめ過ぎて見通しが悪くなったり、結局全部繋がっているので切りどころがわからなくなったり。そんなところでしょうね。ついでに言えば、このブログは他人の褌で相撲を取っているだけなので、卑下こそすれ、誇れる要素など一つもありません。

 

 

何を背負うでもなく気楽に駄文を濫造する人でさえこの調子なのですから、職業:vtuberの心境やいかに。この記事がいつにも増して変わったテイストなのは、きっと鴨見カモミに感化されたせいでしょう。3Dを貫くべきか、2Dの形代を設けるべきかで悩み、自らの思い・考えをあえて示す彼女に。ついでなので言うと、これは意外と難しい問題です。vtuber界では3D至上主義が根強いですが、3Dと2Dは単純な上位・下位互換の関係にはありません。体全体の動きを反映するには3Dがほぼ必須ですが、細かい表情の反映などは、2Dに軍配が上がります。3Dで表情を変えるには、数パターンの目元を手持ちのスイッチで切り替えるとか、そういう手段になってきます。ダイレクトに反映するのは至難の技。2Dの反映は顔周辺に留まる代わり、3Dより細かく表現できる。結局はトレードオフです。

 

さて、鴨見カモミに話を戻して。2D3Dに限らず、基本的に舞台裏を打ち明けるタイプの人ですね。この手の人は見ていて勉強になるので、特に同業者からの評価が高い傾向にあります。似たタイプで例えるなら、ドットライブに入らなかった世界線のもこ田めめめ、2D生配信の波にのまれてやさぐれなかったもちひよこ、淫夢に侵されなかった世界線の犬山たまき(それはもう犬山たまきではない?…ごもっともです)。今でこそブイアパに所属していますが、箱としての影響力は皆無に近いですし。それでも、個人のときからプラス収支でやってこれているとのこと。このあたりが、まあvtuberの良いところですね。このクオリティのクリエイターが、始めてすぐ軌道に乗せられるという点。これで食っていけないのなら、vtuberの存在意義自体が危ぶまれるところです。投資する側は、もしかしたらちゃんねーのパイオツにお捻り挟むおっさん程度の気持ちかもしれませんが、そういうのは後から付いてくればいい。まずは続けられる仕組みが出来上がる、というのが大事です。

 

 

彼女はこの手のクリエイター色の強いvtuberにしては珍しく、生配信や2Dにも(そこまで)抵抗がありません。大抵意識が高過ぎて、あるいは何か拗らせておかしくなる人が多いのですが。絵柄もかなり売れ線というか、今風で質も高く、それ一本でやっていけそうなくらいなので、そうなっててもおかしくないんですけどね。途中で休息期間を挟んだお陰でしょうか。

 

見方によっては、あーだこーだ考えて思いの丈を述べたりして、なんだかワナビーみたいで青臭いなあ、とお思いの方もいらっしゃることでしょう。でも、その青臭さがいいんです。いまどき貴重ですよ、悟り世代だのなんだの言われてる昨今、スレてない青臭さは。

少なくともわたしは、その「若さ」に無限の可能性を感じています。

Undertaleと杏戸ゆげ

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本当は、「若さ」の続きを書くつもりだったのですが、気が変わりました。

杏戸ゆげの話をさせてください。

 

このブログで彼女の名前を出すのは、久しぶりですね。まともに扱うのは、デビュー当初以来じゃないでしょうか。このブログの方向性が定まり始めたきっかけでもあります。ただ、その後触れなかったのも理由がありまして。

最初の記事が…なんというか、「初手天元」的なアプローチになってしまって、そこから広げようにも広げにくい。界隈での存在感も薄く、特に扱うタイミングはなかったというのが本当のところ。

 

なのに、今回話をしたくなったのは他でもない、UndertaleのGルートに突入したからです。

 

 

インディーズゲームとして史上最高の名声を勝ち取ったUndertale。ですが、ゲーム実況の観点からいえば、意外に不評です。というか、扱いがかなり難しい。

そもそも、作者のToby Foxが意図的に実況映えしないよう作っています。自分でプレイしてこそ楽しめるように。やることも基本、弾幕シューティングを覚えて避けるだけなので、プレイする本人は達成感がありますが、見栄えするわけではありません。また、ストーリーもメタな構造、自己言及的要素が核を成しており、一発で話の全体を理解できる人は限られます。そこに、なまじ有名になってしまったゆえ生まれた信者の一部(『涼宮ハルヒの憂鬱』ではありませんが、インドア派オタクはメタフィクションに弱い傾向があります)と、中途半端に内容を知ってしまっているにわか層が絡むと、もう収拾がつかなくなる。

 

そういうわけで、vtuber界でまともに完走したのは(私の知る限りでは)織田信姫くらい。たしか、NルートとPルート。それでも、ガッツリ編集した動画が20本以上必要になりました。

 

そのUndertaleの実況を杏戸ゆげが始めたときの率直な気持ちを言うと、「やらかしたな」。生配信の実況ゲームとしては特大の地雷ですから。しかし、ご存知の通りの高いゲームスキル、長時間配信を苦にしない体力、まだまだかけだしなので人が多過ぎることもなく、結果的には変な人が集まる前にさっさと1周目を終え、Pルートもクリアした。これだけでも賞賛に値します。

 

それなのに、まさかGルートまでやるとは。たしかに、このゲームで最も有名なのはGルートのラスボスとそのBGMですが、Pルートまでとは難易度が段違いですし、なにより、精神的にきます。Pルートで終わったほうが、色々と楽。実際、Undyne The Undying戦で詰まってますし。

 

とはいえ、一度手をつけたゲームは頻繁に長時間の枠を取ってどんどん進めていくので、プレイングスキルも相まって、アーカイブならストレスなく見ることができます。こういうときだけは、箱でないことがプラスに働きますね。リレーとか、時間が被るとか、考えずに済みますから。また、彼女はそれなりのキャリアを積んでいるので、新人にありがちな滑舌の悪さもなく、ゲーム実況者として必要十分な能力を備えているように思います。

 

 

そういうわけで皆さん、地雷処理班・杏戸ゆげの勇姿を一度ご覧になってはいかがでしょうか。

 

…といっても、なんど爆死しても立ち上がってくるタイプの新しい地雷処理班ですが!

 

通常営業再開のお知らせ+α

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だいぶ間が空きましたね。

 

ダーっと書かざるを得ない事情があったので、その反動で休んだ…というのもありますが、実は全く手つかずというわけではありません。

 

前にもGWあたりでパッタリ止まったときがありましたが、何をしていたかというと、ネタの整理です。

 

ちょっとしたワンフレーズや単語の羅列程度でも下書きに放り込んでいくので、気がつくと嵩張っています。

それらをくっつけてまとめたり、ダメそうなのを捨てたりしていました。ハナクソこねてるようなものですね。…ハナクソだと汚すぎるので、消しカスとか練り消しくらいにしときましょうか。

 

 

で、今日は再開のお知らせと雑記のみです。いきなり前の続きとも考えましたが、ほとんどの方が忘れていらっしゃるでしょうし。かっこつきの「若さ」というテーマで書いている途中だったんですが、ちょうど蒼月エリに関する記事を書き終えたタイミングでの引退発表でしたから。結局、そのままなだれ込む形になりました。

今思えば、あの記事は滑り込みセーフですね。引退発表を聞いた後では、とてもあんなの書けるテンションにならないでしょうし。今後とも思いついたネタがお蔵入りにならないよう、ペースを上げていく所存です。

 

 

これだけだとボリュームに欠けるので、最後に、小さすぎて記事にならないと見切りをつけられた儚きものたちを付け足させて頂きます。だいたいは、近々の配信に関する話題ですが。

 

1つ目。因幡はねるがゲームアプリ『クマのレストラン』を扱ったことについて。

このゲームアプリの作者Daigo Satoは、インディーズではトップレベルのクオリティを保ち続けています。遊び続けるソシャゲ系より、各個ストーリー完結型が好きな方はほぼ知っているでしょう。

個人的には『しあわせのあおいとり』が1番好きですね。よく出来ています。『エンゼルロード』も好きです。もう少しこうすればキレイなオチになったかなー…というくらいです。『償いの時計』も良いんですが、少しフラグの立て方に混乱したような。

他なら、SYUPRO-DXさんもコンスタントにハイクオリティですよね。今さらでしょうが。『彼女は最後にそう言った』『終わらない夕暮れに消えた君』『どうして勇者様はそんなに弱いのですか?』と挙げれば思い当たる方も多いでしょう。似た系統なら、mafumi yoshidaさんの『7年後で待ってる』とか。

あと、Child-Dreamさんの『人形の傷跡』もストーリーに相当感心した記憶があります。少し肉付けすれば、地上波のドラマに移植されても遜色ないレベルです。ほぼノベルゲームなので、後半は攻略を見ながらやってしまいましたが。同作者の『千里の棋譜』もかなりすごいんですが、シナリオが未完だった記憶。

GLOBAL GEARさんも有名ですね。『犯人は僕です。』シリーズや『バカサスペンス』あたり、出色の出来。

 

スマホアプリはvtuber界隈、広く実況界隈で見ても未開拓なところが多く、かなり狙い目です。まあ、ストーリーが重要なので、ネタバレや需要のことを考えるとなかなか難しいのかもしれません。

ストーリー系以外だと、最近『アーチャー伝説』がものすごい勢いですが、まだこれという攻略やテンプレがまとまったサイトはなさそう。『令和パズル』も地味にいいですよねぇ。発想の勝利。テトリスか日本史に強い方なら、見栄えするかもしれません。無音ですけど。やや旬は過ぎましたが、『みんなで早押しクイズ』も賢い方向けです。

 

2つ目。えのぐの個人配信について。

まあ、立ち絵では寂しいですね。ノウハウが不足しています。vtuberに歩み寄らなかったツケとも言えますが。とはいえ、牛歩でも変化しているのは確かです。日向奈央のギターも意外に上達のスピードが速そうですし、白藤環のシャレマニも個人的には気になります。『水曜日のダウンタウン』でクロちゃんを見る感覚というか、怖いもの見たさで。腐女子の生態は鈴鹿詩子を通して知ることができましたが、乙女ゲー・声優オタクは果たしてどうなのか。惜しむらくは、主人公のセリフ朗読をやめてしまったこと。プロだなぁと思わせる部分だったのですが。鈴木あんずのトロも、需要はあると思いますが、やや身内向けか。

 

 

まあ要するに、需要や対象層を見定めるのは難しいよね、という話でした。

次からはいつも通りになります。またお会いしましょう。

 

コメント所感(ジェムカンについて)

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珍しいことに、またコメントを頂戴いたしました。一度承認したのですが、ふと考え直して元に戻してあります。

なぜかというと、通りすがりの人が読むには、ちと長すぎる。それと、他所様のブログも紹介してあったので、ご迷惑にならないよう。中身に問題があったわけではないので、悪しからず。

 

ざっくり説明すると、「ジェムカンはどうですか?」という内容。ざっくりいき過ぎですが。

気づかぬうちにまた新たなグループが…と思ったら、うーたま族でしたか。寡聞にして知らず、申し訳ありません。うーたまで唯一知っているのは水科葵ですね。初期のvtuberまとめ動画で見かけて、「これは音楽畑から引っ張ってきたのかな」と。バーチャル体のままでピアノも弾けるので、オンリーワンの使い道はあるんじゃないかなと思ったのですが、私の興味はそれっきりでした。音楽系なら、同時期に知った花奏かのんのほうに目がいっていました。ピアノよりベースのほうが好きなもので。

 

件のブログについては、ジェムカン一途だなという印象。アンケートの取り方ももはやサービス提供側の目線で、私だったらジェムカンに金一封でも貰いたいくらいですね。

 

以前当ブログでVRアイドルえのぐを取り上げたので、そことの比較も含め、今後よろしくやっていけるか心配…とのことでした。

ちゃんと考えるとややこしいので、さわりだけ。

この手の大手芸プロ絡みのvtuberは、ほぼvtuberという肩書きと喧嘩します。ハローキティくらい慎重かつ繊細なアプローチをすれば話は別ですが、基本無意味です。まずは己が「こうしたい」という活動を重ねて、それを見る人がどう受け取るかの問題ですから。

次に、活動が続くか心配という点。企業がvtuberに参入する理由は、VR技術に元々興味を持っているか、もしくは金に余裕があるから「とりあえず波に乗っとけ」かの2択です。演者のモチベーションが保つ限りは、続けるでしょう。

 

余談ですが、バックが強いというのは立派な武器です。どうもvtuber界隈(特に初期)では、やや嫌儲主義というか、そのあたり忌避される傾向にあります。ハイクオリティな個人勢はたしかに天晴れなのですが、それはそれ、これはこれ。力ある人々のお眼鏡に適って、資本投入の価値があると判断されたわけですから、自信をもって活動すべきです。ただ逆に、上(投資家)の意向を汲まなければ…という制約はあるかもしれません。

 

もう一つキーになるのは、顔を晒すか否か。ジャニーズがshowroomで活動させている彼らは、もともとジュニアで所属しているタレントを中の人に起用したパターンなので、顔を分かった上でアイドルとして応援するわけです。女性アイドル系vtuberでは、これがかなりの壁になってきます。ジャニーズまでいけば、にじさんじも裸足で逃げ出すレベルの箱パワーがありますが、女性はなかなか…。男性が女性の顔を見るときの辛辣さといったら、もう。アイドルという肩書きがつくのなら、なおさら。鏡を見ろと仰りたいでしょうが、そういう生き物なので仕方ありません。直でアイドルになれるなら、誰だってなりたいですよ。そうはいかないから、バーチャルというワンクッションを挟むわけで。

そこそこ顔に自信があるのなら、お金を払って現地に乗り込んだ人たちだけが見れますよ!という商売の仕方も、なくはないのですが…まあ、これは本当に最終手段でしょうね。

 

アイドルについてはそのうち触れる予定なので、このへんにしときましょう。

 

今後折に触れて「どういうテーマ・対象の記事を書く予定か」をある程度まとめて先出しするつもりなので、今回のように「〇〇について聞きたい」という方がもしいらっしゃれば、そちらもご確認下さい。

近頃めっきり暑くなってきました、皆さまご自愛のほどを。それでは。