ときのそらと「若さ」

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本当は、カモミより先にときのそらの話をするはずでした。といっても、大した話ではないんですが。人並み程度のことしか知りませんし。黎明期はvtuberの人数も少なく、今のように生放送主体ではなかったため、一通りチェックはしていた…その程度の理解。溺れないように、浅瀬でちゃぷちゃぷさせていただきます。

 

 

ときのそらは、初めからアイドルを名乗っていた数少ないvtuberです。当時にしては珍しく生放送主体でしたし、「交流できる身近なアイドル」路線が念頭にあったんでしょうかね。もっとも、彼女自身は歌で認められたいという思いが強いようです、昔も今も。ひとつだけ、致命的な欠点を指摘させてください。

 

彼女は、あまりにもハイトーンにこだわりすぎる。当時もファンからの「高音無理してるよね、もっと自分に合った曲のほうがいいんじゃない?」という意見が散見され、「私の技術不足は認めるが曲を貶さないでほしい」というやや噛み合っていないお気持ち表明をした経緯があります。わざわざ見に行って意見するほどの消費者、色眼鏡で多少は大目に見てくれそうな、「あばたもえくぼ」のファンですらそう感じるのですから、一般的な感覚や反応は推して知るべし、です。

 

仕方のない面もあります。ある年齢より下の世代は、ボカロに強く影響を受けている。声域や演奏し易さは無視した曲作りも多い。それはそれで、意味のあることです。物理的制約を一旦取っ払ってみたからこそ、生まれる音楽もあったでしょう。しかし、そこを音楽の入り口にした若者たちが、いざ自分の身体で音楽表現しようとすると、本来ならずっと手前でぶつかっていたはずの壁が唐突に立ち塞がります。その障壁と格闘するなかで、うまく折り合いをつけたり、自分の足りないもの・人より優れているものを把握したり…誰しも、そういう雌伏の時期が必要です。彼女の場合は、ボカロや歌い手文化に強く影響されたのか、もともとそういう趣味嗜好だったのか分かりませんが、とにかく高音をバシッと出せることこそ「歌が上手い」につながるのだ…と思い込み、無為な格闘を繰り返しているように見えます。

高音が出るとか出ないとかは、そりゃボイトレもあるでしょうが、基本は管の長さ次第です。ピッコロは高い音が出るし、チューバは低い音が出る。あとは声帯の具合。ただそれだけのこと。

ボカロの原キーなんてのは、宇志海いちごとか、ごく一部の恵まれた人に譲ればいいのです。そういえば、「未成年のみのYouTubeライブ禁止」というニュースを見かけましたが、本当なら宇志海いちごはどうなるんでしょうね。そもそも、採用時点でまだ高校生にもなっていない人を配信者として雇うこと自体、個人的にはクエスチョンマークですが…。22時以降の深夜帯労働(配信)も、グレーゾーンという気がします。これ以上立ち入ると長くなりそうなので、vtuberと年齢の関係については、また後日にしましょう。ひとつだけこの記事と関係ある話でいうなら、ボカロに抵抗があるかどうか、積極的か否かは、年齢やバックグラウンドを自然と映し出していますね。

 

 

さて、ときのそらに戻りましょう。彼女のハイトーンに対する、一種病的なまでのこだわり(ほとんどコンプレックスです!)、歌で認められたいという思い、そこにはもう一つの要因があります。

 

アイドルだから。彼女が、アイドルを名乗っているから。

 

以前にも散々書いたのでもうご存知でしょうが、アイドルとは、なかなか凄まじい職業です。普通、仕事の出来不出来と人間性は無関係。525本の本塁打を放っても、麻薬に溺れたりするわけですから。まあ、麻薬と人間性を直結させるかどうかは置いといて。仮に仕事ができなくても、「あいつちょっと仕事はトロいけど、めっちゃいい奴なんだよ」と言える。

けど、アイドルはその言い訳が効かない。「アイドルとしての人気=その人の人間としての魅力」と、思われやすい。また当人も、アイドルとしての評価からモロに人間性を値踏みされてるような気がして、心を病みやすい。実際のところは、どうなんでしょうね。アイドルにはアイドルなりの技術がある、とわたしなら思いますが。サービス業、広く形のないものを売る商売は、ここらへんごっちゃにされやすい。配信者もそうです。たしかに、その為人に触れてファンになるという話はよく聞きます。でも、人間性で仕事できるわけもなく。その人なりの技術や培ったものが発揮されるかどうか、ではないでしょうか?…とはいえ、あまり自信はありません。

 

で、話を先に進めると、こういう商売は仕事ぶりというのが正当に評価されにくい。

福山雅治は、もともと歌手になりたくて上京した。けれど、才能が認められず、顔が良いから役者やらないかと言われてひとまず芸能界に入り、地盤を固めたのち、当初の目的だった歌手活動をするに至った。一度迂回しながら、目論見通りのゴールに辿り着いたわけです。それでもやっぱり、「歌手:福山雅治」にスポットライトが当たることは少ない(オファーやライブはたくさんあるでしょうけど)。「へー、イケメン俳優の福山雅治が音楽活動もしてるんだー」という理解に、どうしてもなりがち。別に、歌手:福山雅治が特別優れているとは思いませんが、議論の俎上に載せられることすら皆無です。

 

山口百恵やら松田聖子みたいな時代ならともかく、今の時代、アイドルを名乗って歌唱力などの正当な評価も得たいというのは、土台無理な話です。そこら辺の割り切りというか、大人になるときが、いつかときのそらにも求められることでしょう。

 

 

しかし、せっかくですから、その貴重な「若さ」ゆえの踏みとどまりに今しばらく眺め入るというのも、なかなかどうして、乙なものですね。