プロとカモミとワナビーと

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投球イップスはよく知られていますが、どうやら文を書くのにもイップスがあるようで。書こうと思っても書けない。だからといって、特に困るわけでもないのですが。酔狂や道楽で、無責任に書き散らしている身ですから。

 

イップスというのは、ゲシュタルト崩壊みたいなものです。本来の用法でいうなら、無意識に出来ていた動作が何かのきっかけでぎこちなくなり、意識すればするほど難しくなる。しまいにはトライすることすら困難に、そんな感じ。

きっかけは色々あるでしょうが、突き詰めれば技術的な問題です。よくメンタルの問題と捉えられがちで、それも決して間違いじゃないとは思いますけどね。

結局は、自分のやり方を言語化・客観化・定量化出来ていないから、いざ迷子になったとき、立ち戻るべきふりだしがない!ということになるのです。きっかけはメンタルかもしれませんが、根っこは技術です。たぶん。

それに、そう考えたほうがまだ救いがあるでしょう?

 

 

プロとアマの一番の違いは、能力の差もそうですが、それ以上に「否応なく出番がやってくる」かどうか。調子が悪かろうが何だろうが、仕事として契約した以上、期日があれば期日通り、一定の基準を満たした仕事をこなさなければならない。トッププロなら、調子を崩すことすら許されないのでしょう。村上春樹の文章は特に好みではありませんが、彼の倦まず弛まず習慣として書き続ける姿勢は、さすがプロの物書きだな〜と素人ながら感心します。彼はランニングが趣味(の域を超えつつある)ということも有名ですが、継続的に物を書くことと連動している。多くの人は、じっとしたままでは文章をバリバリ書いたりできないようになっています。もしこれといった運動もせずにたくさんの文を書ける人がいるなら、間違いなく天賦の才です。有効活用なさって下さい。

 

自分の話に戻るなら、そんな大層なあれではなく、単純な体調不良、あと無理にネタをまとめ過ぎて見通しが悪くなったり、結局全部繋がっているので切りどころがわからなくなったり。そんなところでしょうね。ついでに言えば、このブログは他人の褌で相撲を取っているだけなので、卑下こそすれ、誇れる要素など一つもありません。

 

 

何を背負うでもなく気楽に駄文を濫造する人でさえこの調子なのですから、職業:vtuberの心境やいかに。この記事がいつにも増して変わったテイストなのは、きっと鴨見カモミに感化されたせいでしょう。3Dを貫くべきか、2Dの形代を設けるべきかで悩み、自らの思い・考えをあえて示す彼女に。ついでなので言うと、これは意外と難しい問題です。vtuber界では3D至上主義が根強いですが、3Dと2Dは単純な上位・下位互換の関係にはありません。体全体の動きを反映するには3Dがほぼ必須ですが、細かい表情の反映などは、2Dに軍配が上がります。3Dで表情を変えるには、数パターンの目元を手持ちのスイッチで切り替えるとか、そういう手段になってきます。ダイレクトに反映するのは至難の技。2Dの反映は顔周辺に留まる代わり、3Dより細かく表現できる。結局はトレードオフです。

 

さて、鴨見カモミに話を戻して。2D3Dに限らず、基本的に舞台裏を打ち明けるタイプの人ですね。この手の人は見ていて勉強になるので、特に同業者からの評価が高い傾向にあります。似たタイプで例えるなら、ドットライブに入らなかった世界線のもこ田めめめ、2D生配信の波にのまれてやさぐれなかったもちひよこ、淫夢に侵されなかった世界線の犬山たまき(それはもう犬山たまきではない?…ごもっともです)。今でこそブイアパに所属していますが、箱としての影響力は皆無に近いですし。それでも、個人のときからプラス収支でやってこれているとのこと。このあたりが、まあvtuberの良いところですね。このクオリティのクリエイターが、始めてすぐ軌道に乗せられるという点。これで食っていけないのなら、vtuberの存在意義自体が危ぶまれるところです。投資する側は、もしかしたらちゃんねーのパイオツにお捻り挟むおっさん程度の気持ちかもしれませんが、そういうのは後から付いてくればいい。まずは続けられる仕組みが出来上がる、というのが大事です。

 

 

彼女はこの手のクリエイター色の強いvtuberにしては珍しく、生配信や2Dにも(そこまで)抵抗がありません。大抵意識が高過ぎて、あるいは何か拗らせておかしくなる人が多いのですが。絵柄もかなり売れ線というか、今風で質も高く、それ一本でやっていけそうなくらいなので、そうなっててもおかしくないんですけどね。途中で休息期間を挟んだお陰でしょうか。

 

見方によっては、あーだこーだ考えて思いの丈を述べたりして、なんだかワナビーみたいで青臭いなあ、とお思いの方もいらっしゃることでしょう。でも、その青臭さがいいんです。いまどき貴重ですよ、悟り世代だのなんだの言われてる昨今、スレてない青臭さは。

少なくともわたしは、その「若さ」に無限の可能性を感じています。