いったい、このブログは何がしたいのか?

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このブログがしていることは、極端に悪く言えば、vtuberの営業妨害です。

 

天然おバカキャラで売っているタレントについて、「ああ見えて実は頭使ってるんだよ」と楽屋裏エピソードを語ったり、鬼才と誉れ高い芸人でも、裏では他の人と変わらぬ地味な稽古をしているとうっかりバラしてしまったり…というような意味での、営業妨害。

 

そんな自覚がありながら、なぜブログを書き続けているのか?

 

この一年で、vtuberは爆発的に供給量を増やしました。特に、にじさんじ参入以降、配信者という形で。それまでアングラな世界で楽しまれていたものも、表舞台に引き摺り出されつつある。水面下で成長してきた「それ」と今の受容者との間には、明確なギャップが存在しています。

 

にじさんじの二期生あたりまでは、作り手も受け手も初めての状態で、お互い一からだけど、手探りしつつやっていこうじゃないか、という関係性が成り立っていました。おそらく、配信という文化にあまり触れたことのない層にとって、ここがファースト・コンタクトだったのではないかと推測します。

市場がレッドオーシャンと化した今、それは通用しません。例えば、アニメ化されるレベルの漫画家が監督から主演までこなす犬山たまき、あるいは、配信者としてのキャリアと作詞作曲MIXまでこなす能力をもつ周防パトラのように、一定以上のスキルを提げて乗り込まなければ、生き残ることすらままならない。もう、リスナーにとっての初めてになれない以上、仕方のないことです。

 

問題は、この生産者と消費者の…なんと言ったらいいんでしょうか。レベル差、あるいは、経験値の乖離。この状態で供給が増え続ければ、どうなるか?

消化不良、アレルギー反応、最悪の場合は中毒死。

 

vtuberがニコ生文化の焼き直し・繰り返しになっていると、つとに指摘されています。これは、三分の一正解で、三分の一間違い。あとの三分の一は、まだわからない、これから先のこと。この話はまたいずれしますが、とりあえず今確認したいのは、これから先の部分です。

生き馬の目を抜くような世界を潜り抜けてきた「それ」に対して、受け手の一部は十分な耐性をもっていません。本来なら、市場の成長とともにステップアップするはずなのですが、今回のケースではズレが生じている。そういった人々が、いかに免疫をつけられるか。適切な距離をとって、vtuberを楽しみ続けることができるか。

その糸口を見出すために、このブログは書かれています。