月ノ美兎の業の深さは、濃縮還元されている

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さて、いい加減彼女の話でもしましょうか。

かつてほどの神通力もなく、みなフラットにモノを見られる頃合いですし。

 

vtuberを語る上で避けては通れない、大きな存在となりました。もしかすると、少々大きくなり過ぎたかもしれない。彼女のスタイルは、本流ではなく傍流にあってこそ評価されやすく、また動きやすいから。…いや、正確に言うと、最初彼女は傍流にいたはずなのですが、その影響力の余り、本来傍流だった川の流れを本流にしてしまった。いまこうしてあるvtuberというものの在り方は、すべてここに端を発しています。

 

「月」は、この界隈だと非常に重い文字です。個人(といってもサークル単位ですが)で3D動画勢のてっぺんまで瞬く間に登り詰めた輝夜と、当時大変風当たりの強かった2D生配信勢を界隈のスタンダードにまで押し上げた功労者月ノ美兎がいるから。

この記事を考え始めた3月当時はこの二人しか思いつかず、ただの偶然だろうと一笑に付していたのですが、重い腰を上げる今になって、夢月ロアがいることに気づきました。ひょっとすると、ひょっとするのかも知れませんね。「名前に『月』がつくvtuberはビッグになる」というジンクス。まあ、このジンクスが本物かどうかは、最近現れた餅月ひまりで判断するとしましょう。

ざっくりした傾向でいうならこの界隈、太陽より月、陽より陰に人が集まるように思います。ミライアカリの現状を見るとなおさら。唯一その傾向にハッキリ抗っているのは、本間ひまわりくらいですね。ここまで明確に「陽」の名前で人気のあるvtuberも珍しい。特異な例です。

 

月ノ美兎に話を戻しましょう。当初の本流とは、キズナアイに代表される3D動画勢です。非現実的な設定に沿ったRPで、キャラクター性を形作る。かつては、vtuberをよく知らない一部の人から、キズナアイは本当にAIだと思われていたりもしました。コンテンツの提供側も、バックグラウンドを可能な限り隠すよう努め、消費者側も、出来るだけ目を向けないよう努める。ただ、それもずっとは続けられない。次第に無理が生じてくる。

そこへ、月ノ美兎が現れた。いろんな要因がありますけど、結局のところ、時代が求めたとしか言いようがない。

一つ勘違いされやすいところですが、月ノ美兎はRPを捨てたわけではありません。あくまで「女子高生が顔出し配信してますよ」というテイ。洗濯機の前で配信とかも、月ノ美兎としての話であって、演者としての話ではない。

とはいえ、言ってる本人も、観てる側も、それが建前であることは理解しています。例のあまりに有名な「わたくしで隠さなきゃ」「これがバーチャルYouTuberなんだよなぁ…」は、その本音と建前の限界スレスレまで肉薄した結果です。暗黙の了解でアイコンタクトをかわすパスの出し手と受け手のような、程良いスリルに人々は魅了された。

当然ながら、この攻めの面白さは、設定に忠実なRPをするキズナアイらを前提にして成り立つものです。本流がしっかりあってこそ際立つ傍流、表裏一体の関係にあった。ところが、その傍流は一大勢力となり、裏が表に変わった。なんと実はこの服、リバーシブルだったのです。

誤解のないよう書きますが、表裏がひっくり返ったからといって、「中の人はいない」という建前を捨て去ることにはなりません。先ほどから申し上げている通り、裏表がひっくり返っただけなのですから。土台となる前提部分は同じです。

vtuberに限った話ではありませんが、制限というのは、コンテンツの成長には欠かせない要素です。全てが自由になったら、独創性のきっかけすら奪われます。放送禁止用語を解禁したらテレビが面白くなるかと言ったら、そんなわけはありません(ネットテレビや素人の生配信を見る限り)。逆です。縛りがあるからこそ、生産的な試行錯誤がなされ、オリジナリティが生まれる(成熟しきったコンテンツや、ごく一部の天才は別ですが)。

かつて月ノ美兎のことを、ヴィトゲンシュタインばりに「語りえぬものについて語る」と申しましたが、それはこういうわけです。裏側として、Aではなくnot Aとしてしか本来語れない類いのものだということ。ここで学のある人ならヴィトゲンシュタインの話を広げられるところでしょうが、わたしにはそんなものありません。先行きます。

 

正直言えば、わたしのなかだと月ノ美兎はヘラピンまでで終わった存在です。あとは出涸らし。その出涸らし状態でも並の人間よりずっと面白いのが、彼女の凄みでもありますが。

その凄さを別角度で言うなら、「異なる二種類の才能を持っていた」ということになります。

いわゆるバズって人気を得ることと、人気コンテンツを(惰性ではなく)慣性に乗せて継続拡大させること。これら二つは、全く質の異なる能力が必要です。皆さんも、思い当たる節があるでしょう。ほとんどの人は、仮に才能に恵まれたとしても、どちらか片方だけ。月ノ美兎の凄みは、その両方を水準以上にこなしている点にあります。

 

その特殊さの根源は、わたしの推測だと「老成した若さ」。

ほとんどの人気vtuberは、長年かけて培ってきたスキルをもって花開きます。何事も一足飛びにはいかない。

ところが月ノ美兎に関しては、老いていながら若い、若くして老いている、矛盾した才能でした。それが「月ノ美兎の業の深さは、濃縮還元されている」の意味です。ほとんどの人は絞ったままの果汁(経験値やスキル)をえっちらおっちら運んでくることになるのですが、彼女の場合は、絞った果汁の水分を一旦飛ばして濃縮してしまい、あとで適宜濃度を調整する。熟成と新鮮、老いと若さを両立させた数少ない才人。

それが、月ノ美兎です。