笑いの反射神経

(1996字)

まず、この文章は本来「若さ」の流れで書かれるはずだったものの、なんやかんやであぶれてしまった哀しいものたちの供養です。それではゆるっといきましょう。

 

少し前に「スランプだ、文章書けない」などと図々しくも一丁前に騒いでいた頃、気分転換にお気に入りのコントを見ておりました。インパルスの「交番」のコント。板倉扮する警官のもとに、堤下扮する空き巣被害者が駆け込むというやつです。安定感なら「悪魔祓い」や「ウェイトレス」のほうが勝っていますが、「交番」が上振れしたときの凄まじさたるや。インパルスの現状が、余計に惜しまれます。ネタ作り・コントでの演技力等々から板倉が天才だというのは鉄板ですが、やはりインパルスは堤下あってこそ。彼らがトントンの力関係になければ、あのコントは成立しません。今のパワーバランスでは、難しいでしょうね。あれはあれで光る何かを感じるので、もっと露出が増えるといいなぁ…と願って止みません。

 

歳をとって笑いの質が変わるというのは、なにもインパルスに限った話ではありません(彼等の場合は事情が特殊ですが)。大抵の人は何事もなくとも、普通に生きていくなかの山あり谷ありで、丸くなったりなんだりします。松本人志なんかは有名ですね。若かりし頃批判していたような大御所になりかけています。それが悪いというわけではありません。人の考えは変わっていくものです。いつまでもキャシー塚本をやっていたら、頭がおかしくなります。

 

総じて、若い人は尖った笑いを、年老いた人はコテコテの笑いを好む傾向にあります。周防パトラも例に漏れず…。

 

在りし日の彼女は、シュール系の笑いに重きを置いていました。代名詞であった「ファーファ」シリーズは比較的王道ですが、絶妙な抜き加減とテンポの良さが光っていましたね。わずかに残る貴重な生配信の記録からは、シュール系のセンスが垣間見られます。その手の才能が皆無なら、「グリンピースも二足歩行で頑張ってる」というフレーズは出てきません。クジラックス作『らぶいずぶらいんど』の有名なワンシーン、「ふくしのだいがく出てるんですけど!」を画面に映しながらの飲酒配信もありました(好きだったんですけど、もう消えてますね)。りんごシードルでべろべろに酔っ払い、黒猫のタンゴをあざとく歌う回です。同性の敵を作る理由がよく分かります。

 

今は違います。茶色い卵に「お前調子乗ってんじゃねえ」と息巻いていた頃の彼女は、もういません。今いるのは、茶色い卵で嬉々として料理配信をする周防パトラです。

 

 

とはいえ、この書き方は不正確かもしれません。懐古的ニュアンスを多分に含んでいる。実際には、顔出し配信を始めた段階でもう別物です。まだ仮説の域を出ませんが、一般に配信者やYouTuberなどのネットタレントは、顔を晒すか否かで大きく質的に変化する。受け手の反応・メンツだけでなく、当人の心構えや、何を提供するかも含めて。良し悪しの話ではありません。

卵が先か鶏が先かの問題もありますが、「顔」という最も直接的でプライベートな情報の有無は、その人の配信者としての方向性を左右します。おそらく、vtuberが新たな消費者層を発掘したのはそのためです。生身のYouTuberに抵抗があった、あるいは関心を持てなかった人々のニーズに合致した。その後vtuberのほとんどが配信者となってからも、それまで配信文化にノータッチだった層が「太客」になっているように思われます。このあたりは、また別途考えるスペースを設けましょう。

 

 

周防パトラに戻るなら、ごく初期のデート配信は微かにセンスの片鱗を感じます。しかし、以前とは客層が全く違う。もっとハッキリとした分かりやすい笑いでウケを狙いにいかないと、ただのかわいい声の人というレッテル貼りで終わりかねません。その後はご存知の通りです。象徴的なのは学力テスト。健気であると同時に、痛ましくもある。学力テストでいうなら、樋口楓も該当します。これに出られそうなvtuberでは一番格上というか、集客が見込めるという都合上の人選なのでしょうかね。

 

仕方ない面もあります。現代日本識字率ほぼ100%、また、ピンキリとはいえ大学進学率も5割を超え、6割に迫る勢い。目を見張るほどのアホは、ほとんど淘汰されたと言っても過言ではありません。偽りのアホだとしても、企画成立には必要不可欠なのです。

 

そんな世の中だからこそ、ぽんぽこは素晴らしい。彼女は、あゝ、掛け値無しのアホです。純粋なアホ。純度100%のアホ。底抜けにアホ。選ばれしアホ。アホのエリート。アホがゲシュタルト崩壊してきたのでもうやめますが、こういう人材が、現代日本においてどれほど貴重か。彼女が真実のアホを貫き通せるのなら、vtuberという世界もまだ捨てたものじゃないのかもしれません。