OMORIの話

(2710字)

大した話じゃないのですぐ終わるんですが、余談で他の話題に混ぜるのも宜しくないので先に吐き出します。ネタバレ嫌な人はスキップして下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

念入りな余白…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OMORIで「なるほどなぁ」と思ったのは、サニーとバジルのなにかについて。知ってる前提なので説明するのも野暮ですが、サニーは主人公で、バジルは(一応)親友。物語の核心は「サニーが出来の良い姉マリを殺してしまい、そこに偶然居合わせたバジルの提案で自殺を偽装した」ということ。この目を背けた真実にどうやって近づくのかが物語の中心になります。

なにか(something)というのは、フロイトでいうエス、イド。トラウマティックなもの。これがずっと脳裏にこびりついている。黒くて大きい一つ目のなにかが二人とも見えているのですが、微妙に異なる。結論から言うと、互いが殺したマリの姿です。バジルに見えているのは、サニーが階段の上から突き落としてしまい、階下で倒れたまま長い黒髪に顔を覆われているマリ。サニーに見えているのは、首を吊られて長い黒髪に顔が覆われているマリ。

首吊りは一見二人の業のようですが、最後のアルバムを見ると(またゲーム内データに存在するコメントも併せて読むと)茫然自失のサニーにバジルが提案し、実際に縄を結びマリをぶら下げるまでをバジルだけでやっています。途中まで運ぶのは二人がかりなのに、抱え上げて首に縄をかけるのをバジル一人で出来るものなのか、と思われるかもしれません。可能な方法も考えられますが、それより重要なのは「次第にバジル単体の責任へと移った」ように描かれている点。また、実際の死因についても不明。突き落とされた時点ではまだ手の施しようがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。どちらにも殺しの責任が問われ得る宙ぶらりんのまま。後で述べますが、バジルにも出来るだけ重しが乗る形にしないと、物語として成立しない。客観的に見ればこの状況、サニーが悪いで終わりですからね。

で、気になったのは「なぜ自分のではなく、互いの殺しがトラウマになっているのか?」。普通に考えると、自分が手をかけてしまったことのほうがよほどトラウマではないか。サニーこそ突き落としたマリが、バジルこそ首吊りされたマリがなにかになっていいものなのに。

でもよく考えると、これは殺人エアプというか、共犯エアプでした。この二人の心理を最も蝕んでいるのは「友人が共犯者で同程度に罪を犯しているあまり、他人に告白し懺悔することもままならない」という点だったのです。この状況へ持っていくがために、物語としてバジルは一人で自殺偽装をする必要があった。バジルの罪が軽すぎた場合、サニーはもっと早く罪を告白することが出来たでしょう。ほとんど自分が悪いのだから、その罪の告白で連鎖的にバジルの行為も白日の下に晒されるとて、さほど気にせず済んだろうに。

実際はそうではなかった。もはやどちらも告白出来ず、罪悪感ですり潰されるまで待つしかない。二人で一緒に告白すればいいと思うでしょうが、年相応に幼く、またそういうことが出来るほどの友人関係でもなかった。バジルはサニーを聞き上手のいい子(花に例えればチューリップ、シンプルで謙虚で無垢)としか思っておらず、内に秘めた暴力性もまた彼の一部なのだと認めなかった。マリが死んだのも写真を黒く塗り潰したのも、サニーではない別のなにかのせい。

一応親友と言ったのはそういうことです。サニーの都合良い部分にしか目を向けなかったから。これでは親友と呼べないし、親友なら罪を隠すために自殺偽装なんて提案しない。

ついでに言うと、事件の遠因である誕生日プレゼントのヴァイオリンも、バジルのアイデアでした。良かれと思ったのでしょうけど、それがサニーには重過ぎた。わざわざ友人達が大枚叩いて買ってくれたヴァイオリンでは、練習せざるを得ない。でも、サニーは辛い練習が嫌で一度辞めてるんです。練習が嫌というより、努力してもなかなか上達しない才能の無さが嫌だったのかもしれない。そこら辺は本人のみぞ知るといったところですが、ともかくときたま戯れに弾くくらいでちょうどよかった。

なのに、みんながバイトなりで金を工面して、誕生日プレゼントでちゃんとしたヴァイオリンを贈られた。ピアノの上手な姉のマリとセッションで、発表会まですることになる。それまでなら友達と一緒にテレビを観たり遊んだり出来た時間が、練習に割かれる。おいそれと「やっぱやーめた」とは言えない状況。とうとう爆発し、発表会当日にヴァイオリンを壊す。怒る姉。出来の良い完璧主義のマリからしたら「どうしてもっと頑張れないのか」、出来ない側はその詰められ方が一番キツい。カッとなって手を振り払う。足の悪いマリはバランスを崩し…。要するに、バジルは理解不足だし、サニーは自分の気持ちを伝えるのが下手で溜め込みがちだった。マリもマリで、自分と他人の基準の違いに無頓着だった。若いってそういうもんですけど、最悪の噛み合い方をするとこうなるという見本ですね。

話を戻すとそんなわけで、バジルはサニーの罪を認められないから、一緒に告白という線も消えてしまった。

 

だから、自分の罪がトラウマなのではなく、相手の罪がトラウマなのです。自分の罪を告白したら、もう一人の罪も開示せざるを得ない。果たしてそれを許してくれるだろうか?してもいいのか?分からない。分かるはずがない。そんなことが分かる間柄だったら、こんな拗れない。

人を殺したーーしかも親しい人ーーあまつさえ遺体を傷付け、してもいない自殺に見せかけ、周囲に少なからず心の傷を負わせた。これらのことすら、もはや問題の中心ではなくなりました。仮にもっと些細な罪だったとしても、この二人の共犯関係が成立したら、いずれ似た経緯を辿ったでしょう。

だから、二人のなにかが互いの罪であることに納得したというお話。なんというか、すごくキリスト教文化を感じた。罪の告白(confession)をゴールにするというのは、ならではですね。そこにこの歪んだ共犯関係が絡むと、相手の罪に押し潰されるのか、という気づき。そこが非常に興味深かった。

 

しかしあれですね、MOTHER2がインディーズゲームに与えた影響は甚大だなと。Undertale然り、ゆめにっき然り。ただ、この系統は開拓され尽くしてそろそろ頭打ちかな、とも思いました。ホラー表現とかは特に。松本人志の後、みんな松本人志になってたあの現象。こっからどうなるのか楽しみですね。

おしまい。