ハトサブレと瘡蓋の解釈

(1821字)

まとまらないので悔しいが雑記。

→長くなったので解釈ものとしました。

 

  • ハトサブレポエムの基礎的解釈

君の声が 聞こえるたび

僕の心は ハトサブレ

この場合ハトサブレ、というのは…なんというか、英語でいうと"fragile"。割れやすい、ポロポロと崩れやすいお菓子ですね。先日そばぼうろを食べてたら気づきました。あのポエムのハトサブレって、そういう意味かーって。「僕」は、「君」に恋でもしてるんでしょうかね。

平日のサラリーマン

満員電車でどこへ行くの?

答えは公園

K-O-U-E-N

僕の心は ハトサブレ

これはまあ分かりやすい。平日のサラリーマンが満員電車に乗ってたら、どう考えたって行き先は職場です。なのに、答えは公園(若干の韻踏み、ローマ字読み上げはその強調?)。実はリストラされたばかりで、傷心のままフラフラと、あるいは失職したことを周りに悟られないため、カモフラージュで満員電車に乗って、公園に行く。リストラされたサラリーマンは公園で黄昏ると相場が決まっています。アニメ漫画でも使われる定番ネタですね。そんなわけで、心がハトサブレ。このサラリーマンは、「僕」とは別人でしょうか。それとも同一人物で、客観的に観察した描写なのか。別人でも、そんなサラリーマンを見たら心ハトサブレだってあり得ます。

泣いていいのは

トイレの中と パパの腕の中だけ

パクリはよくない

僕の心は ハトサブレ

ハトサブレ…レ…レ…レ…レ…レ…(フェードアウト)

これは、すぐピンと来る人とそうでない人に分かれるのではないでしょうか。個人的には、かなり初期の周防さんの配信でやっと理解しました。たしか何かの雑談の流れで、CLANNADの名言として「泣いていいのは云々」発言に触れていました。

仮にそれを知らなくとも、直後に唐突な「パクリはよくない」があるため、勘の良い方なら「今のは何かのオマージュかな」と察せられる仕組みになっています。親切設計ですね。要するに、オタクにとっては有名なフレーズをパクった直後に、パクリは良くないと否定あるいは戒める、シュール系の一節。泣きたい状況なわけで、心はハトサブレ。やっぱりリストラされたんですかね。最後の演出は、先日のぱとらじで言及されたように、声優ラジオあるある的なものと思われます。

全体的に、若かりし頃の「らしさ」が活きた、シュールの中に悲哀が垣間見える良作ポエムと言える。

 

  • 『Teenager Forever』の瘡蓋は剥がれ落ちない

解釈ついでにこちら。瘡蓋云々というのは、一番のAメロ2つ目の後半歌詞です。

深い傷もいずれは

瘡蓋に変わって

剥がれ落ちるだろうか

なぜ落ちないと思ったのかというと、まず単純に、ボーカルの音程が落ちないから。ここはフォールしないんですね。

一応前半も含めてAメロのフレーズ終わり際に注目してみます。

(1A1前 だ⤵︎あ)

1A1後 も〰︎→‖ やや上がって終わる?

(1A2前 だ⤵︎あ)

1A2後 か〰︎→‖

2A前 て→⌒→ 上がって下がる

2A後 も→⌒→ 同上

後半は基本的に下がらない。ほぼフラット。前半は下がる。2番は前後半共通した動きで、ちょっと山になっている分、上がり下がりがある。

まあ正直、これだけでどうこう言えはしないんですけどね。ただ、もし「瘡蓋が剥がれ落ちる」方向に印象をもっていくつもりなら、そもそも歌詞を「剥がれ落ちるだろう(な)」として、前半に入れるか、後半でもフォールさせるような気がする。

歌詞の内容的にも、Aメロ前半はネガティブな分かり切っていること(若さゆえのやや極端な思考)、Aメロ後半は将来的な話。将来の話は歌の進行につれてポジティブになっていく。「自分のことあんまり好きじゃない」→「トラウマ克服できるのかな」→「ありのままでいいじゃないか」という感じ。

瘡蓋のくだりは、ネガティブともポジティブとも言い切れない中間。深い傷が癒えるとはとても思えないけれど、まあ未来のことだしなんとも言えない。でも、おそらく傷は癒えない。あるいは、瘡蓋になっても剥がれ落ちはしない。傷跡として残る。上述のように、もし「傷は癒えるよ!楽観的にいこうぜ」という趣旨なら、歌唱的・文章的に別の表現になるはず。

だけど、ちっぽけな自分が好きになれなくても、トラウマが克服し切れなくても、そのまんまで一歩ずつ、今を重ねて先へ進もうぜ。と、そういうお話でした。