周防パトラのスタートライン

(追記後2512字)

なぜ書きづらかったのか、だんだん分かってきました。

『内緒のモンスター』の記事。四苦八苦してあの時なりのベストを尽くしたけれど、書いてみて日を置いて「こういうことだったのかな」と見えてきた部分がある。

 

ずーっと前の記事で「Vtuberとして確固たる地位を築いて、音楽でも自分なりに色々試す猶予・チャンスを得たはず」という趣旨のことを書きましたね。ようやく今回が、その第一歩だったわけです。そのことが一にして全であり、それ以外の要素は些事。だから、あの曲自体をどうこう考えようもなかった。

分かりやすいのでYunomiからの脱却ということにしてありますが、それに限らず、また周防さんに限った話でもない。モノ作りで誰もが通る最初の道(真似ぶ=学ぶ)の話。ある種の見習い的な立場(一生懸命真似して基礎固め)から、独り立ちする。自分探しの旅、大海原へいざ漕ぎ出でぬ。そういう話。

 

だから、ここからがやっとスタートなんです。それまで意図的あるいは無意識に使っていた雛形を一旦なしにして、自力でやろうとしたらどうなるのか?という実験。それをして初めて見えてくるものがある。この部分は雛形に頼っていたけど、案外ここはオリジナリティの原石だったな、とか。こういうのは広く知られた手法で、こういうのはあの人の専売特許だな、とか。これはこういう風に出来ていて、ここらへんを自分なりにアレンジすればパクリにはならないな、とか。何もわからないままコピペすればそれはパクリですが、発想の理屈を考えて「じゃあこっちをこう変えたら、そっちはそうなる」というアレンジなら基本OKです。というか、創作ってそういう風に積み重なったもの。「あなたのあれは、こういう風に出来てるのね」というその人なりの解釈。「逆にこういう作り方もできるよね」だっていい。

 

今回に話を戻すと、一旦Yunomiっぽい要素全てに制限をかけ、逆をいくことでどうなるかという試み。それを経て、ようやく「ここが足りないな」「逆にあそこは強みだな」と分かってくる。

この前歌詞に引っかかっている話をしましたが、おそらく、理由はテンポです。言語感覚に変化はなく、それまでは気にするほどでもなかったのが、テンポの速さにより言葉が詰まることで表面化したという風に理解しています。そういうことも、今までと全く違う方向に振ったからこそ見えてきた。

 

そんなわけで『内緒のモンスター』の最大の意味は、スタートラインに立ったことにある。じゃあ次どうするか、あれもしたいこれもしたい、夢が広がるね、という話。歌詞に限定するなら、設定を具体的にしてストーリー性を持たせるもよし、言葉遊びを突き詰めるもよし、可能性は無限大。好きな曲から発想を頂戴するのも、立派な一つの手です。『五月雨』(崎山蒼志)に「蒼」が使われるのを聴いて「よしじゃあ私は桃(色/果物)を使うか」とか。たとえばの話です、流石にド直球すぎるので。「李(すもも)」なら許されますかね?ともかく、これなら別にパクリにはならない。そもそも「蒼=崎山蒼志」かどうかもわかりませんし。勝手にこっちがそう思っただけです。あるいは「『五月雨』って冬と春と夏は出てくるのに秋はないのか…じゃあ私は秋雨の曲にしよ〜」とか。だからどうしたレベルの話です。『たばこ』(コレサワ)を聴いて「なるほど最初に時間設定を示して、次に場所設定を示してスタートするのか〜。それ真似しよ!」別によくある手法ですから、今更何も言われやしません。皆さん、冒頭の歌詞に違和感ありませんでした?「昨日の夜から君がいなくなって24時間がたった」。より文意の伝わりやすい文章校正を頼んだら「君のいなくなった昨日の夜から24時間がたった」になる。報告書で読むのならそれでいい。行ったり戻ったり出来るから。でも歌はそれじゃダメなんです。最初に「昨日の夜から」って聴こえてきて、「あぁ昨日今日の話なのね」ってイメージしやすい状態を作ってあげないと、どんどん歌詞が流れていって頭に入らないまま終わっちゃう。それから「僕はまだ一歩も外には出ていない」を聴いて、「あぁずっとお家にいるのね」となって、だいたいのシチュエーションが掴めてくる。だからお話も頭に入ってきやすい。『天体観測』(BUMP OF CHICKEN)なんて「午前2時フミキリに望遠鏡を担いでった」ですよ。一文目で時間も場所もすぐわかる。ただし過去形になっていることからも伝わるように、当然昔の話。「じゃあ今どうなの」と対比になってくる。思い出話の状況説明にグダグダ時間割いてたら、話が進まない。だからテキパキと必要十分で済ませている。

そうやって、好きな曲をじっくり聴けばいくらでもアイデアは発掘できます。前の記事で五感に訴えるとか、母音と子音にこだわるとか、得意なテーマを作るとか言いましたけど、そんなのベタベタのベタです。みんなやってます。著作権フリーです。

最終的には、曲を聴いただけで「これはあの人の作った曲だな」となるのがベスト。

 

 

つまりは。これからが楽しみ、そういうお話でした。

 

(追記:奇しくも周防さんがオーイシさんへ質問した、歌詞とメロディについては、中井久夫のエッセイからのパラグラフ引用を一つ。

    下宿の隣の部屋には理論物理学者がいて、個物への興味を持つということそれ自体が理解できないらしかった。彼は少数の本を手元に置いているだけであった。たいていの本は買ってくると、表紙を「重い」と言って捨て、飛石のように数式だけを読んで、二百ページくらいの本を一時間もするとごみ箱に直行させるのであった。もっとも、彼が音楽を好み、少数の文学——ジョイスマラルメヴァレリー——を評価していたことを付け加えねばならない。彼が「マラルメはどんな場面でももっとも美しい音を選び、ヴァレリーはその場面にふさわしい音、従って不快な場面では不快な音を使う」と言ったのは、今も至言ではないかと思っている。

これで伝われば幸いです。)