名義と音楽【RAD、米津、パトラ】

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オカマが女装したり、クリエイターが別名義で創作活動したりというのは、今になって考えると、非常にvtuber的な振る舞いです。

 

そんな話でしたね。

 

クリエイターの別名義というと、ミステリの女王アガサ・クリスティはミステリ以外も書いていて、その作者がクリスティであることを生前秘密にさせました。これは、同一人物であることを伏せた場合の別名義ですね。今の時代は、ガモウひろし大場つぐみのように、伏せてはいるが周知の事実というパターンが多い。

 

RADWIMPSなら味噌汁's。音楽の減り張りによって使い分けていた印象。『マニフェスト』と『にっぽんぽん』なんかは、わかりやすく対の関係です。ドラム山口さんの病気で、味噌汁'sとしての活動は絶望的ですが…。

RADWIMPSの曲には、アッパーとダウナーというか、陽と陰みたいな関係性のものがちらほら見受けられます。『ヒキコモリロリン』/『グーの音』や、『おしゃかしゃま』/『ハイパーベンチレーション』など。両方とも、後者は前者よりややマイナーですが、RADファンからカルト的な人気を誇ります。個人的には、 『ハイパーベンチレーション』の最後のベースが好きですね。

 

 

米津玄師も、複数の名義があります。ボカロPとしての「ハチ」、メジャーデビュー後の「米津玄師」、あと「Kenshi Yonezu」。最後のだけ使い分けがイマイチ分かりませんが。これだけビッグネームになったのだから誰か調べ上げてるだろうと思ったら、そんなこともなく。外部プロデューサーが関わったからというわけでもなさそうだし、主人公が女性の場合かしら。『アイネクライネ』に使われていることしか把握してないので、たいした推測も出来ません。

 

その『アイネクライネ』。ずっともやもやしていたのですが、あるブログの記事を読んでスッキリしました。望まれない妊娠、産むか産まざるかの歌だという解釈。割と筋が通っていて、おかげでモヤモヤが晴れました。

 

J-POPに限らずたいていの曲は「わたし」と「あなた」、一人称から二人称までで精いっぱいです。というか、だいたい惚れた腫れたの話ですからね。第三者の挟まる余地がない。RADの『五月の蝿』みたいに産まれてくる子供を想定すればまた別ですが、それもチョイ役ですし。基本は身の回りの小さな世界について、実感をこめて歌うことになります。世界平和などを歌って許されるのは、ビートルズマイケル・ジャクソンくらいなもの。

 

そういう意味では、『アイネクライネ』が本当に「わたし(母)/あなた(子)」関係だとしたら、けっこうトリッキーですね。しかも作者は男性。『Lemon』も「わたし」と「あなた」がコロコロ変わるので、トリッキーといえばトリッキー。

深読みしすぎと思われるかもしれませんが、これはごく浅い読みです。創り手の立場になって考えてみれば、理屈や組み立て、ベースになるものなしに創るほうがよっぽど大変です。もしインスピレーションに頼った神懸かり的創造を試みても、ほとんどの場合無意識が働いて、ありきたりなものしか創れません。「ハーメルンの笛吹き男」から『vivi』にまで発展させることのほうが、よほど想像力を必要とします。米津玄師の場合は、一から十まで意のままに操ってる感じがして、逆に気持ち悪いというか、それ楽しいの?って気になりますけど。まあ、それだけの天才ということか…。もしわたしが音楽の道を志していたら、この人の『マトリョシカ』を聴いた時点で諦めているでしょうね。あの段階であの曲を創れる人と同じ土俵の上で闘う自信や覚悟が、はたしてあったかどうか。

 

 

音楽といえば、周防パトラはすっかり停滞気味ですね。ライブの準備で忙しいのでしょうけど。

ひとつだけ言えるのは、今までの方向性では芽が出ないということ。音楽的に相当Yunomiをリスペクトしているようですが、同じ路線で行く限り、Yunomiを超えるのはほぼ不可能です。どこまで行ったって、Yunomiの二番煎じと言われてしまう。ただ、周防パトラの声にYunomi的音楽がベストマッチというのも否定しがたい。だからこそ、蒼月エリの存在と『蒼い蝶』で見せた新たな一面が鍵を握るはずだったのですが…。

とはいえ、ないものをあれこれ言ったって仕方ない。とにかく、周防パトラの声からもYunomi的音楽からも一旦離れて、全く毛色の違うvtuberに楽曲提供するくらいのウルトラCをかまさなければ、音楽面でのブレイクスルーは難しいかと。

 

 

名義の話はもう少し掘り下げる余地がありそうなので、またいつか取り上げましょう。それでは。