紳助と応援と自我

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今日は時間がないので手短にゆるく済ませます。

 

島田紳助という人がおりましてね。

まあこの人自身については色々思うところもあるでしょうが、一時は芸能界のてっぺんを取った男です。試しに耳を傾けてみる価値はあります。

その業界のトップに君臨した人の例に漏れず、この人も「芸人とはなんぞや」的な◯◯論を方々で述べています。そのなかでひとつ面白い話がありました。

芸人っていうのはな、人気が出始めると劇場とか舞台とかに若いねーちゃんがいっぱい観に来るようになんねん。でな、すごいキャーキャー言ってくれんねんけど、その人らに向けて漫才やり始めたら芸人おしまいや。すごいキャーキャー言ってくれんねんけど、わざわざ劇場に足運んで観に来てくれててんけどな、正味の話そんなに漫才観とらんのや。応援するために来てるから、正直漫才が面白かろうがつまらなかろうが、どっちでもええねん。だからその人らに向けて漫才し始めたら、どんどん訳分からん方に行ってまう。おれたちがホントの意味で漫才見せてんのはな、テレビの向こうで黙って観てるにいちゃん達やねん。そいつらをな、漫才見して「あぁおもろいわぁ」って言わすの。そのためにネタ作って稽古して漫才すんねん。そいつら意外と真面目に漫才観てるから、そいつらに「おもろい」って言わすにはどうしたらええか、そこを本気で考えて芸人ってやってくもんだとおれは思ってる。劇場のチヤホヤしてくれるお客さんにしか目ぇいかなくなったら、芸人おしまいやでホンマに。

朧な記憶なのでそのままではありませんが、大筋こんなところだったと思います。たしかNSCの生徒に向けた特別授業でしたかね。

おそらく漫才ブームとかがあった時代を経験した上での話なので、まるきり今に通用するとは思いませんが、なるほどと思わせる部分はありますね。色んな分野に当てはめて考えてみると、なかなか興味深い。

別に他意はありません。

 

ところで、何かを応援するというのは意外に厄介な問題を含んでいます。

何かを好きになって、それに対して色んなものを捧げる。時間とか、お金とか。でも人間ですから、ずっと同じ感情、熱量で向かうわけでもない。どこかでふと我に帰る瞬間というのが来ます。そのとき、人は板挟みになる。それまでの何かを好きでいた自分と、今のふと冷静になった自分。

でも、それまでの何かを好きな自分を否定してしまうと、費やした時間やお金も無駄ということになりかねない(実際はそんなこともないとは思いますが…どうなんでしょうね)。なにより、何かを好きでいることで保たれていた自己同一性に揺らぎが生じる。何かを好きだった自分と齟齬をきたさないためにも、あえて冷静さは手放し、頑張って没頭し熱中することで、なんとか自我が崩れないよう耐えていく…。

控えめに言ってそれは、つらくしんどい日々です。そういう人々が一人でも少なくあることを、切に願います。