ハッピーホームアカデミーという字面のヤバさ

(1847字)

  • ハッピーホームアカデミー

ハッピーホームアカデミーって、ヤバいですよね。

だってハッピーホームアカデミーですよ?

ハッピーなホームをアカデミーするって、そんな話ありますか。

そもそもハッピーなホームとはなんぞやという問題もあるし、アカデミックにハッピーを突き詰めようなんて、考えただけで恐ろしい。

で、これ、どう森の家を建てたときに「自動でみんな入会してもらうことになっているんだなも」という風に流されるまま入ってしまう。

どうぶつの森』は擬似社会体験ゲームですが、その一環として「怪しい詐欺・宗教の勧誘」まで盛り込まれているんです。「これちょっと変ですよね、こういうこと世の中にはたくさんありますから、予習しておいてくださいね」という、任天堂なりのメッセージ。

非常に教育的なゲームです。

 

  • 女を捨てられない女

別に男を捨てられない男でも話は変わらないのですが、一応これでスタートしてみましょう。

特にVtuberにおいて、女を捨てられないことは致命的です。

なぜかって、賑やかな街に繰り出せば五万といそうな人間だ、と視聴者に気づかせてしまうから。

リアル寄りのYouTuber、ネットタレントならまだわかります。いやむしろ、そういう人こそ向いています。可愛く見られたい願望を存分に満たすことが、おそらく需要にもマッチしている。

でもVtuberは向いてません。いや、向いてないことはない。各々に、各々の良さがある。ときには、そういうどこにでも居そうな感じを求めることもあるでしょう。でも、Vtuberとは噛み合っていません。根本的に、そういうものを捨てたある種の魑魅魍魎を見たくて、そんな沼に視聴者はズブズブ沈んでいるわけですから。

たとえば魑魅魍魎というのは、描く指描く指ぜんぶ太くて、しまいにゃピザの絵を地面中に敷き詰めるような人です。

女として生きさせられてきたのなら、普通こうはならんのです。実際の自分はデブだと思われやしないだろうか、と不安になる。ある意味では、幸せです。『私の幸せな時間が長い理由』なんて本を出すのはどうでしょうか?いいえ、それは無理です。だって、幸せというのは、自分が幸せだと気づいていない状態なのですから。どうして自分はこんなに不幸なのだ〜?と思っているのですから。理由なんて書けるわけがない。

 

  • 漫才師の立ち位置

漫才師の立ち位置って、決まってるんですかね。コンビの話です。

ツービートだと、マシンガントークのボケたけしが左。紳助竜介も紳助が多弁のボケですが、これは右かな。

なんとなく、右が重点置かれてる気もするんですよね。ミルクボーイ、霜降り明星、ぺこぱ。昔はボケがメインでしたが、最近はツッコミが花形ですね。最近というか、ダウンタウン以後でしょうか。ある意味ボケメインの頂点みたいな才能を松本人志によって見せつけられて、そこから後はボケ自体で完成されてるタイプの笑いはスッパリ消えた。いや、実際には松本人志の後追いが山ほど出てきて、全部潰れた、という方が正しいのか。

こういうどうでもいいこと考えるの、楽しいですね。最近はトム・ブラウンが好きです。

 

  • ハツコはガチ

たしか年始の実家風配信でしたかね。このときのやりとりで「あぁ、この方はガチなんだな」と確信した覚えが。

ハツコさんが『きのう何食べた?』っていうドラマを観たんだ、という話になって、花奏さんが「あーあれってたしかそういう…のだよね」みたいな返しをして、ハツコさんが「うんそう」みたいな。そのまますーっと別の話へ流れていった。

これで確信しました。同類…いや、胸張って同類と言えるほどですらないけれど、やっぱり、なんかこう…身につまされますね。

 

  • 離席時のlive2D

別に過激派ではないので、離席時にlive2Dをほっぽらかしたところで「観るのやめてやる!」とはならないんですけどね。これに限らず、面白けりゃ観るし、つまらなけりゃ観るのやめるし。ただそれだけ。

でも、不思議なことにこういう所を疎かにしている人は、大概伸び悩んでますね。

一応建前は「ウェブカメラで自撮り」なわけで、感覚的に気持ち悪いというか、「離席するのに自分が映ってたら変だよな」となるもんですけどね。よっぽどいっぱいいっぱいなのかな。

結局、そういう細かい部分の累積が、その人の世界を形作る上で響いてくるのかもしれませんね。

 

おしまい。