いや、死のデッキ破壊ウイルス…は懐かしい

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最近ね、思うことがあるんです。

まあこうやって、いわゆるプロのべしゃり屋でない人の長尺配信が界隈のメインコンテンツになり、だいぶ日も経ちました。ベテラン配信者の参戦もデフォルトになり、皆さん目も肥えてきた頃と思います。

昔は「女の子が駄弁ってる」だけでも満足していた。声が可愛ければそれでよし、可愛くなくてもオタク趣味全開なら有り難がる。でも、そういう配信文化に初めて触れた層も、段々慣れてきた。もっと面白い企画や、卓越したトークスキルを求め、次第に物足りなくなる。

 

前にも書きましたが、1時間生でしゃべって面白くあり続けるなんてのは土台無理な話です。トップオブトップの芸人だって、ノーカットだと「ん?」となる。リメンバーいいとも、リメンバー徹子の部屋徹子の部屋はご健在か。

 

同じ話題の繰り返しがネタにされがちな昨今ですけど、それ自体は決して悪ではありません。

いっとき、狂ったようにマツコデラックスを聴きまくる時期がありまして。昔の『5時に夢中!』を中心に、ラジオやらゴールデンやら深夜の冠番組やら。『マツコの部屋』なんてのもありましたね。『グータンヌーボ』や『サワコの朝』、ブレイク初期の女子アナいびり系まで手当たり次第。本も読み漁った。

それだけメディアに露出しまくると、やっぱり同じ話も出てくるわけです。視聴者層も違うし、とっておきのエピソードトークは再利用する。でも、知ってても面白い。

何が面白いって、毎回少しずつ違うんです。細部を足したり削ったり、話の構成を変えたり。自然とでしょうけどね。その場に合わせて、かつ何度も話すことで洗練されていく。それで「たしかにこの順番のほうが分かりやすいなぁ」とか「この情報の出し方上手いなぁ」とか楽しめる。

一番古典的なのは落語。あれは話すことがガチガチに決まってるので、声のトーンやテンポにボディランゲージなんかで差をつけるタイプですね。

分かりやすいのは漫才やコント。インパルスの交番ネタが結構クオリティ上下する話、前にもしましたね。ミルクボーイみたいに型のあるものも、見較べると面白い。

 

繰り返しは繰り返しで面白いし、ネタとしてサッサと落とすのも選択肢の一つ。

要はそういうことです。