ダサ靴下とエロ

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もこ田めめめの靴下はダサい、とは至言です。

スタイルの良過ぎる下肢、鮮やかな色使い、主張し合う柄。それら全てが、上半身からは想像もつかない要素として組み合わさり、たった一つの結論、すなわち「ダサい」を導き出しています。

配信者にとって、ツッコミどころを作ることはとても重要です。vtuberの場合、肩透かし程度の、ちょっと斜に構えたくらいのツッコミどころではいけません。「やさしい世界」の住人は、好意的な変換フィルターを通して物事を見ています。やるなら徹底的に。100人中100人が同意するレベルにしなければ…。その意味で、彼女の靴下は見事に役目を果たしました。

 

こんなことを考えるに至ったのも、つい最近、その靴下の凄まじさを再認識する機会に恵まれたからです。

わたしは偶然にも、世界的R-18サイトで、もこ田めめめを素材とした動画を目にしました。衝撃でした。全く内容が頭に入らない。靴下のクセが強すぎて。あれに興奮できる人は、きっと相当な靴下フェチなのでしょう。

 

 

思えば、vtuberというのは意外に性的消費されにくいコンテンツです。いわゆるオタク界隈にあり、かつ、技術的にも親和性の高そうなジャンルであるにもかかわらず。一部には、自ら性的消費を促す類のものもいますが…。

いくつかの理由が考えられます。一つ目。かねてから述べているような「やさしい世界」であることが、いい方向に作用した。彼らは主に「かわいい」という味付けを施して(まるでふりかけ!)それらを消化しますが、「かわいい」と「エロ」は基本、相容れません。特に、前者の延長上の遥か先に、崇め奉る崇拝の感情がほの見える場合には。恋慕といったほうが分かりやすいでしょうか。あるいはーー下品かつ失礼な例え話で恐縮ですがーー小中学生の男の子が好きなクラスメイトをオカズにできない、またはそうすることに罪悪感を覚える、という話を聞いたことがあるでしょう。おそらくは、それに近い何かが作用しています。

 

二つ目。vtuberが身近になったから。にじさんじ以降の生配信主体化、ツイッターでのファン交流という文化(あるいはノルマ?)によるものです。先の例え話でいうと、ブラウン管(…今なら液晶パネル?)の向こう側のタレントに対してなら、罪悪感を覚えることは少なかったでしょう。クラスメイトという身近な存在であることが、罪悪感を増幅させているのです。性的消費は、対象の人間性を一旦括弧に入れ、打ち遣り、性的要素を強調することで成り立つものだから。古代の壁画や偶像なんかで、やたら胸部や臀部が肥大化したもの、見たことありませんか?要は、そういうことです(やや暴論ですが)。対象の為人に触れれば触れるほど、性的消費は精神的苦痛を伴い、困難になります。逆に言えば、性的消費に抗うのなら、仲良しになればいい。

 

 

「技術発展の陰にエロと戦争あり」とはよく言ったもので。たしかにVR技術は、エロや軍事訓練の分野でめきめきと進歩しつつあるようです。しかし、たまにはそれら抜きでことが進むというのも…悪くない、と密かに思っています。