vtuberがケリン抜きでは語れない理由

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前回の記事で

わたしは偶然にも、世界的R-18サイトで、もこ田めめめを素材とした動画を目にしました

ーーこう書いたのですが、果たしてそんな偶然などあるものか?とお感じになった方も、いらっしゃるのではないでしょうか。あるいは、この動画に興味をもったものの、疚しさ故かいまいち踏ん切りのつかない方。そんな方々に使える、魔法のことばをお教えしましょう。

 

 

「ミソシタの動画を見に行った」。

 

 

彼が世界的R-18動画サイトに動画投稿してから、随分になりますね。本当に便利な存在です。いや、今言ったような便利さは、比較的どうでもいい部分ですが。もう少し突っ込んだ話をしましょう。

 

 

わたしがいま思い浮かべているのは、IHクッキングヒーターです。高火力だが、火事にはなりにくい。この界隈において、そういう存在は貴重です。女性vtuberと絡んでも炎上しにくい、または負の感情を抱かれにくい男性vtuber。ミソシタの場合は、そもそも他vtuberとの絡み自体が少ないのであれですが。小山内めいが、パロディ動画『ミッドナイト・めいちゃんドリーム』を出したくらいですかね。

 

vtuberにおいて、他との絡みはなかなか厄介な問題です。特に、男女が混ざる場合。少なくとも、これという正解は出ていません。そもそも原初的なvtuberなら、設定の擦り合わせが面倒です。3D動画勢しかいなかった頃は、交流自体まれでした。ツイッターでやり取りするか、それなりの信頼関係(バックも含めて)を築けば互いの撮影現場に出向く…というくらい。

2D生配信主体化以降は、ハードルがグッと下がりました。にじさんじなら、以前話したように「家族売り」がベースです。大所帯のなかで、各々グループを作ったり、外部と交流したり、割と自由。一部男性陣に関しては、燻る火種という感じですが。あまりにも「脛に傷持つ」タイプが多いので、そういう選考基準なのかと一瞬疑ったりもしましたが、流石にそれはないか…。実績と天秤にかけた結果、メリットのほうが大きいとの判断なのでしょうね。

アイドル部のように基本鎖国、というのも一つのやり方です。ただ、これは四天王の一角を占めるシロが、こまめな手助けを怠らないからこそ為せる技です。なんの保証もないvtuberがやるには、リスキー過ぎます。

 

絡み(特に男女のもの)自体不要と見る向きもあるでしょう。しかし、異なる視線に晒されてもなお見るに耐えるか、複数の立場から価値を認められうるか、というのは、コンテンツの成長と長持ちには欠かせません。何千何万の賛同を得ても、同じ趣味嗜好の持ち主ばかりでは、儚い。スポーツ選手なら(仮に不祥事を起こしても)実力と結果次第でいかようにも評価されますが、この手の不確かなものに価値を見出すタイプでは、尚更。無論、閉鎖的なコンテンツも必要とされる以上は、それを否定するものではありません。

 

 

話をIH型vtuberに戻すと、いの一番に名前が挙がるのはピーナッツくんでしょうか。異性受けではなく、万人受けを意識したキャラクター作り。動画メインに生配信もこなし、定期的にイベントを主催。隙がありません。天開司、ふくやマスターなども炎上せずに絡めるという点では貴重ですが、残念ながらわたしの見識不足ゆえ、これという場面に出会ったことがありません。そもそも火力不足、という認識に留まっております。

 

そして、欠かしてはならない男、ヤミクモケリン。

最初にこのvtuberを知ったときは、今とは違う意味でかなり危ないと感じました。エルフのえるに乗っかって、ファン心理の延長上に生まれた存在のように思われたからです。折しも、月ノ美兎のパチモン杉ノ美兎が物議を醸した頃。また、2D生主になることの心理的抵抗が減った結果、vtuberと仲良くなることありきというか、下心の見え隠れする手合いが急増したこともあります。この頃のあっくん大魔王などは、かなり危うい雰囲気でした。そういう意味で、ケリンも不安視の対象だったのです。

 

結果的には、彼ほど線引きのしっかりしたvtuberもいなかった。めちゃくちゃやってるようでいて、大事なラインは踏み越えないよう配慮しています。古き良き(?)ニコニコ文化の最後の生き残りの一人。練られたプロット、飽きさせないテンポ、古今様々なネタ、変化球とお約束のバランス。ケチをつけるなら、身内ネタが過ぎることぐらいです。個人的には、奈良判定とうんぱっぱ、MAXENDとペニーワイズあたりが白眉だと思います。

(追記:後者は今ならつかみの部分でNG出してるかもしれませんね)

 

あのタイミングで彼のようなvtuberが出てきて、この位置までこなければ、界隈はずるずると出会い厨的な方向に(今よりもっと)流れていたかもしれない。だから、vtuberを語る上で無くてはならない存在だと言ったのです。vtuberがまだコンテンツとしての形を保っているのは、彼のおかげです。