解釈と寿命

(5221字)

出来るだけ短く書きます。

ツイッターでチラッと葛竜がどうのと目に入りましたが、それはどうでもいい。

今さら!?一年以上前にみんな通ったはずでは…というのが正直な感想。

 

で、今わたしの脳内には大きく分けて二つの事柄。一つは『イワシがつちからはえてくるんだ』。もう一つは、にじさんじの中の人関連の動き。

 

公式には実演家という表現になるらしい、なるほど実演家。で、そのプライバシー保護に向けて氏名や顔写真の拡散流布を止める。当然です。さらに、それ以外にも個人の特定に繋がりかねない情報を止める。ここは線引きが難しいが、まあ広めの網掛けか。本人が配信内で喋ったことも「個人の特定に繋がる情報」といえるが…。

その流れで前世情報もダメと。なぜなら、エンタメを提供する側としての考えでは、今現在の活動で完結した世界観のものだから。前世の活動を合わせて考えることでプラスになる場合もあれば、マイナスになる場合もあるが、いずれにしろそこらへんを云々するのはNGと。

特ににじさんじは、一般人なのに身バレという十年前の法律でも守られるレベルのことが横行してたので、この動きも止む無しか。ギバラさんも遂に活動の終止符を打ちましたし。

そういえばYouTube全般も少しずつ正常化の兆しですね。コンプラ違反のBANが各方面で進み(最たる例はワタナベマホト?)、R18系はDMMなどへ戻りつつある。

 

さて、ここでもう一つ。『イワシがつちからはえてくるんだ』とは、ネットで有名な曲の題名。ドットで作られた映像とボカロ、DTMの曲。ある日作者は諸々嫌になり全てを削除。「自分の名前を出すな」「作品の考察もするな」「一部作品は条件を守れば転載していい」という感じで消える。

お分かりでしょうか?これ、意図はともかく、コンテンツの寿命を伸ばす最適に近い条件が整えられたんです。作者が消えて、オリジナルも消えて、作品の複製だけが残り、増え続ける。

実際のところ、人の口に蓋は出来ません。「○○の話はしないでくれ」と言ったところで、SNS(匿名掲示板を含む)はともかく、クローズな場所まで手は及ばない。時代を問わず、井戸端会議や口コミは信じられない広がり方をする。ネットのない時代に、初代ポケモンの裏技を日本中の小学生が知る。そういう生き物です。

ただ、広まりの速度は格段に抑えられる。ここがキモで、何事もその答えへ辿り着いてしまったら興味が薄まる。誰もが答えを知っている謎は、謎として機能しません。「○○の話をするな」という禁止は、結局のところスピードを緩めさせたり、まわりくどい手順を踏ませたりすることによって、対象への興味・情熱を長持ちさせる効果をもつ。隠れキリシタン的なやつですね。あるいは禁断の恋とか。本当はダメなのに、と思うほど魅力を感じる。晴れて認められたら、急に冷める…みたいな。

 

イワシに戻ると、もし本当に作品について考察してほしくなかったら、作者としての考えを全て公開してしまうのが唯一かつ最強の手筋です。一撃で作品の息の根を止められます。誰かが「もしかしてこうじゃないかな?」と言い出しても「いや作者本人はこう言ってるよ」で封殺できます。議論になり得ません。「ダンブルドアは…?」「ホモだよ」それで終わり。

 

なんねん まえかの ことでした
だれかが ハサミで
タイムラインを ちょんぎった
そして
あしたと きのうが つながった

なんねんまえか、何十年や何百年ではない。ということは十年以内?

だれかがハサミで…誰なんでしょうね。語り手とは別の人なのかしら?

タイムラインをカットして、消すか別箇所へ移動させるかして「あしたときのうがつながった」。ということは、この語り手のいるタイミングがある程度絞られる。わかりやすいのは日付の境目だが、他の可能性もあるので一旦ペンディング

あしたの ことは しっている
イワシが つちから はえてくるんだ
えきの ホームに あながあく
すのこが きえるんだ
きのうの きおくは きえたけど
きえたってことも よくわからないんだ
そらの うえから ビルがたつ
めが みえなくなってきた

サビ、タイトル回収。

この時点では不明点も多いが、明確に分かるのはサビ前と語り手が違う。曲の冒頭は丁寧語尾、サビはタイトルにもある通り「(○○する)んだ」という語尾で、幼い語り手を示している。あるいは、冒頭部分だけ昔話を真似したと取れなくもないが、「ちょんぎる」というやや暴力的な表現とサビ話者がマッチしないし、事態の理解度にも大差がついている。最初の話者はタイムラインがどうこうと言っているのに、サビ話者は「きえたってこともよくわからない」状況。

「そして」などの接続詞もない(「けど」くらい?)し、文の構造やワードチョイスにも幼い語り手であることが表現されている。

はな は かれず
とり は とばず ねむる
かぜ は とまり つめたく
つき は みちも かけも せず まわる

花鳥風月。

プリザーブドフラワーや造花も枯れないが、どうやらそうではなさそう。

とりはとばずねむる。なぜわざわざ「飛ばず」眠るなのかというと、飛びながら眠るやべーやつがいるから。渡り鳥とか。だから具体的には木に止まって寝たり、巣穴で寝たりという感じ。眠る時間帯は種類によるのでなんとも言えないが、一般的に「鳥目」という言葉で夜の目が効かないことを指す。ので、まあざっくりなら夜寝てる。夜行性もいるし、昼夜問わず活動するほうが多いとも言われてますけどね。

もう少し言うと、鳥の部分は花と対になっている。花は植物全般と広く捉えるなら、鳥は動物全般(が大体眠る夜)と考えることも可能。

風は凪いでいる、のに冷たい。ということは、少なくとも真夏とかではない。風が吹かなかったら暑い…いや、吹いても熱風なんでどっちみちですが。とにかく風が止まって冷たく感じる時期。もしかしたら、風が吹いたら南風で暖かい、くらいの時期かもしれない。

月は満ち欠けせずまわる(回るor周る)。本当に満ち欠けしないなら、太陽と地球と月の位置関係、見え方はそのまま。月が公転せず自転する状態?

あるいは、「きのうとあした」がほぼ同じ月の見え方をする日だから、満ち欠けせずまわるように見えるのか。

まあ花鳥風月の部分については、ざっくりこうまとめることも出来る。時間が止まっているわけではないが、事態が進展しない。つまり、同じ時間を繰り返している。

いままでと これからが つながって
いちにちを とばして わすれて
すすんでく
ここは
もとには もどらなくなった

とんだのはいちにちなんですね。何年前かのある日に、誰かが一日分カットして前後をくっつけた。しかもそれは消えてる。で、ここは元に戻らなくなっている。

2サビへ行きますが、メインは1サビと同じ歌詞。低音のハモ?で別の歌詞が登場。

クロマグロが とんでくる
あしたの おひるすぎに とんでくるんだ
ぼくら めがけて ふってくる
ぼくらは ころされるんだ

キハダが ここまで とんでくる
かわらを つきやぶって とんでくるんだ
マグロの はりには どくがある
ささると できしする

まず、クロマグロが明日のお昼過ぎに飛んでくる。「ぼくら」は殺される。次に、キハダ(マグロ)が「ここ」まで飛んでくる。裏サビの話者がいる場所でしょうか。突き破ってということは、「かわら」は瓦ですかね。そして「マグロのはりにはどくがある」らしい。マグロに毒針はおろか、針があること自体初耳です。海に流れた水銀などが食物連鎖で蓄積していく、という意味で「マグロは有毒」とはたまに聞きますが。最後に、そのマグロの毒針が刺さると溺死する。

現状考え得る選択肢は二つです。このキハダマグロは未発見の新種である。あるいは、ここで言う「マグロ」はいわゆるマグロではない。察しの良い皆さんなら、薄々勘づいているかもしれません。

ところで、この裏サビの話者は誰なのでしょう。「ぼくら」とあるので、なんとなく男の子かなぁ…というくらい。本サビの話者もこの「ぼくら」に含まれるのか?語り口調的に近い年代とは思える。クロマグロやキハダと、マグロの種類にまで言及してる分、イワシとしか言っていない本サビよりは年上かもしれない。まあ、イワシの種類と言われても、カタクチイワシくらいしかわからないけど。

 

この裏サビについては、もう一つ別の曲を参照する必要があります。「海鮮市場」という名称で同じく括られている『クロマグロがとんでくる』。投稿された時系列としてはクロマグロが最初(2012/08/29)で、次にイワシです(2012/12/22)。

ふみきりで かねつした しつがいき
ああ ラジオの となりに そなえる プリンの
きげんは きのうまで

クロマグロの冒頭。曲動画の説明文には「夏のどこにでもある光景を歌った曲」とあったそう。夏のどの時期かはお分かりですね。賞味期限の切れたプリンがそなえてある。期限切れは「備える」ものにはならない。「供える」ものです。お盆、お彼岸。プリンが御供物ということは、おそらく亡くなったのは幼い子供。

クロマグロがとんでくる
あしたの ひるすぎ
ああ ぼくらを めがけて ふってくる まぐろ
ころされる

ああ キハダが とんできて
かわらを つきやぶる
ああ まぐろの はりには どくがある
ささると できしする

裏サビの原型。

うぐいすに にらまれた れいぞうこ
ああ ただしい こたつに たづねる みかんの
よていは くりかえす

2番は1番との対比ですね。鶯は2〜5月に鳴く、春を告げる鳥。初春ですね。ただし、冷蔵庫(室外機と逆の冷える機械として)やこたつ、みかんといったワードから、より寒い時期へ誘導している。4月や5月ではなさそう。そして、予定は繰り返す。きっと何かあったのでしょう。

 

これらの予備知識をもって、イワシに戻ります。もう分かるでしょう。

イワシが つちから はえてくるんだ 」

それは本当に土から生えてきたのか?この曲動画の説明文にはこう書いてあったそうです。「そんな事あるか」。仰る通り。

サビ話者にとっては、カットされた分、時間が飛んでいる。気づいたらイワシが地面に刺さっているから、土から生えてきたと思ってしまった。幼い子ならではの柔軟な発想力。

しかし実際は、裏サビ話者によると、クロマグロやキハダが飛んできた。もしかしたらイワシも。この一日がカットされたから、イワシが急に生えたように見えたし、駅のホームも穴が空いていた。

 

しかし既に確認しましたが、裏サビ話者の語りを聞く限り、このクロマグロやキハダは、本当のクロマグロやキハダではない。

クロマグロが降ってくるような、キハダが瓦を貫通して毒をもたらすような、子供たちも巻き込まれた何か。時期としてはおそらく2〜3月。寒いが、春一番もぼちぼち吹き始める頃。投稿された時期は、2012年の後半。

あくまでわたしの勝手な解釈では、この曲は東日本大震災をモチーフに描かれています。クロマグロ津波(ツナ…)、キハダは放射能。「明日のお昼過ぎに」皆さんの心に深く刻まれている通り、あの震災は14:46に起こりました。「ぼくら」にはクロマグロのように見えた津波が襲ってくる。キハダならぬ放射能は、障壁も無意味ではありませんが、家屋にいるからといって逃れられる類いではない。あまり大量に被曝すれば死に至る。この場合は「毒」という表現となった。

地面に生えたようになっているイワシも、おそらくイワシではない。震災直後の映像を、覚えているでしょう。すのこも消えます。

空の上からビルが立つ、これはハッキリとは分からない。津波の恐れのない高所?

最後は目が見えなくなってきた。死が迫っているのか、タイムリープが繰り返されるのか。

 

 

しかし。

現実にタイムラインをちょん切ったり、タイムリープしたりというのは、それこそ「そんな事あるか」です。

2011年3月11日という一日を切り取って無かったかのようにしてしまう人が、もし存在するのなら、それはわたしたち自身です。あの一日を生かすも殺すも、自分次第。

一人一人がその出来事を自分なりに咀嚼し、飲み込み、解釈することで、ものごとの寿命は変わってくる。

 

そういうことです。おしまい。