演者の精神健康③

(1683字)

ラスト。

三つ目は「自身をキャラ化することによる疲労」。まあ、これはVに限らずあり得る話ですね。一般的な会社員も肩書に応じたRPをしているようなもので、家庭内においても同様。学生も一緒。ただ、程度には差がある。その代わり、Vは多くの場合離脱しやすい。これもケースバイケースですけど、少なくとも一家庭における「親」「子」などの役割と比べれば楽かと思われます。

 

さて、ここまでザッと見てきましたが、件の講演についてのリポート記事が上がったようなので最後にご紹介しましょう。当ブログより、参加した記者の手に成るこの記事を読むほうが有益です。

なるほど。そもそもこれ、ゲーム開発者向けカンファレンス内の一つだったんですね(どういう関わりなんだろう?)。そして講演者は、V運営のサポートをしていると。

以前えのぐの夏目ハルが休養した際、カウンセラーによる面談や社会人教育プログラムなどの改善策をもって復帰となりましたが、こういうカウンセラー的な立ち位置の人でしょうかね。

通常の役者は,演技すべき場とそうでない場が明確に分けられており,演技が終われば素の自分に戻ることができる。

一方,バーチャルアクターは,…(中略)…役者ほど明確にキャラクターを切り離せない状態であり,…(中略)…負担も大きい。

なるほど。うーん…通常の役者について「演技が終われば素の自分に戻ることができる」と言えるかは疑問ですが(いわゆる憑依型でなくとも大抵の役者は演じた役を引き摺る)、「演技すべき場とそうでない場が明確に分けられて」いるというのは切替の一助となりますね。だからこそ、Vにおいても(以前述べましたが)前口上などの区切りは非常に大切。

記事にもあるように、配信だけでなくSNS(主にTwitter)で日常がRPに侵食されて、切り離しが難しくなるというのは頷ける話です。芸能人でも、長らくファン・業界の求める「氷川きよし」を演じていた氷川きよしがいたりします。

論文の書き方を教わるときによく言われることを思い出します。「見解への反論や不備の指摘は別にあなたの人格を否定しているわけではない、あなたの考え・思考はあなたそのものではない。そこを同一視するのは大きな間違いだ」というもの。字に書き起こして目の前に(つまり自身の外側に)存在させる場合は比較的容易ですが、形のない声で伝えたりする場合は、なかなか困難を極める。特に、大きく手を加えて(動画における編集など)一旦客観視してから差し出すのと違い、ほぼ生の状態で差し出さざるを得ない配信は…。

 

こういった心理面のケア体制が整いにくい理由として、そもそも一定の専門技能が必要で必ずしも人材豊富とは言えないこと、そして、Vの特性上いわゆる声優や役者と違い「中の人」の存在や詳細に関する情報が社外秘の最高機密、トップシークレット扱いになってしまうことも挙げられるでしょう。もちろん医師なら守秘義務が倫理的・法的に存在しますが、逆に言えば、そのレベルの社会的地位・倫理観・対価・拘束力なんかがなければ成立しない。この界隈の偉いさんにそこまで考えが及び、手を打つ余裕のある人がどれだけいるか…。

 

少なくとも現状では、どうしても悲観論者になってしまいますね。見当違いであることを祈ります。それではまた。