生はボロが出る

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なんだか聴き覚えがあるなぁと思ったら、あれですね。『象は鼻が長い』。

 

ボロというのは、不正確な表現だったかもしれません。もしくは、素材そのままの味が出る、というあたりでしょうか。それゆえ、人によっては「動画で観るよりつまらないな」と思われたり、うっかり本性が漏れたりするわけです。ツイッターも、気楽に運用される場合は似た側面を持ちます。

正直観る分には、動画もアーカイブも大差ない。その人や状況によってフィットするものは変わる、としか言えない。ただし出す側にとっては、動画のほうに明確なメリットがあります。それは、編集が効くという点。つまらないなら削ってしまえばいいし、口が滑ったら無かったことにできます。

自らの本性に自信が持てないなら、尚更この利点は大きい。ツイッター上で余計なことを呟いてしまう方も、動画の形で自己表現すれば、一度引いた位置から目を通すことで未然に炎上を防げます。実は人間性に問題があっても、活動を動画に限定していれば、長期に渡って隠すことが出来ます。

 

なんでこんな不毛なことに思い巡らせているのかというと、遅ればせながら最近『朝ココ』のすごさに気付きまして。

やっぱり、配信の行き着く先って、ああいうスタイルなんでしょうかね。生の部分と、動画部分と両方。テレビの生放送だって、VTRを観ている時間がほとんどですし。やる方も観る方も、ある程度のものが保証されている安心感を抱く。

VBの『おはばば』も、以前から似たようなスタイルですね。ただ、VBの場合は基本単体で完結したコンテンツなので、周囲のニュースを扱ったりは出来ない。扱えるのは時事ネタと、日付毎の歴史的出来事あたりまで。その代わり、CMの出来が抜群に良い。

桐生ココさんの場合、CMはほとんど身内向けですが、大きな箱ゆえに身の回りのニュースを豊富に扱えること、そして20分という尺設定が素晴らしい。たしかに、1枠30分単位のニコ生ならともかく、YouTubeで無理くり長々と配信する必要性はない。

その日その日の旬な話題を扱うことは、生放送の大義名分にもなり得ます。積極的に選択された生放送ということですね。反対に、たとえば動画を作るのは面倒だから生放送…なら、それは消極的選択ということになります。

 

でも、一番すごいのは、この『朝ココ』をデビューの瞬間から始めて、1ヶ月ほぼ休まず継続していること。桐生ココとして数ヶ月活動して、そこに辿り着いたのならまだわかります。初手で、ほとんど完成形に近い一手を放っている。さらに、それを継続している凄まじさ。

もちろん人によって正解は様々ですが、準備の良さは疑いない。単純に配信環境が整っている等々の準備ではもちろんなく、自分の手札でどう闘えば勝ちにつながるかを、予めよく考えた上でのスタートダッシュです。

経験実績十分なことを踏まえても、滅多に出来る芸当ではありません。

 

ただただ脱帽。