モンペの話、運営とファンについて

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さて。

前回お話しした通り、例のばあちゃる氏のモンペ発言に少し触れたいと思います。

(※途中までばあちゃる氏の新規ツイートを知らずに書いていますが、内容に深入りする前だったため、支障はないと判断してそのまま残します)

ただ、わたし自身は当事者ではないため、あくまで蚊帳の外から見たものになります。「蚊帳の外」というのも、今回の出来事を1番大きな括りで捉えた場合「ドットライブファン/ドットライブ運営間の信頼関係の崩れ」になるから。もちろん他にも色々あるのですが、概ねここに帰結します。わたしはどちらでもないので、双方について可能な限り好意的な解釈を施した上で(というのも、双方ともドットライブに悪意をもっているわけではないという前提にたっているから)、感じたことを手短かに記します。

 

まず意外に思ったのは、ばあちゃる氏がこれまでドットライブファンにある程度信頼されていた、ということ。深く見ていないわたしからすると、運営の1人がガワを被ってるだけという認識でした。たしかにvtuberブーム初期から存在し、シロのサポート役、そしてアイドル部のプロデューサー役を務めましたが、特に何か面白かったり、目を惹く見識の持ち主だったりという記憶はありません。この点については、単にわたしがよく知らないだけかもしれない。逆にシロやアイドル部を応援してきた人にとっては、応援対象との関係上、好意的な受け止め方になるのもまた道理かと。ともかく、仮に見所のない人物だったとしても、別にかまわないのです。それはvtuberに求められるものであって、運営に求めるものではないから。つまらないvtuberだったとしても、無関係な人は見なければそれで済みます。

少し話が逸れました。今回の件は、ドットライブの運営として配信した生放送の内容ですね。

詳細なあれこれについては、事情を熟知しているファンの手に成る文章を読むのが良いでしょう。双方に好意的な目を向けた上で、気になった部分を取り上げます。かなり色んな問題が絡んでいるのですが、第1感は「合わせ技一本」。これを念頭に置き、良い悪いの判断は一旦抜きにして臨みます。

 

  • モンペというワード

今回これだけ尾を引く騒動になったのは、モンペというキャッチーな言葉を使ったからです。もともとモンスターペアレントという造語は、泣き寝入りするしかない教師達を救うため、問題に焦点を当てるために作られたものです。キャッチーで当然、みんなの注意を引きつけるために作られた言葉ですから。実際モンスターペアレントを社会問題化することに成功しましたが、今度は逆に正当な要求もモンスター扱いされかねない問題も浮上した。今のこの話ではなく、大元の教育現場での話です。今回の件、そもそものモンペ自体の歴史と照らし合わせる価値はあるかもしれません。教育現場以外だと、ジャニーズなどのアイドルファンや、オタク界隈では使われたりするようです。自虐的に、あるいは迷惑行為を糾弾する形で。

今回ばあちゃる氏がモンペという言葉を使ったのは、前々から思っていて、今日こそモンペと言ってやろうというような意図的なものだったのか、それともうっかり心の声が漏れたのか。いずれにしても、ファンの中にそういう人がいるという認識をしていたことにはなりますし、訂正しないのなら偽らざる本音ということになります。

(※このタイミングでばあちゃる氏のツイッターを確認し、謝罪と訂正、後日改めて生放送することを知る)

なるほど。この感じだと、モンペという発言についても撤回、修正あるいは明確な定義し直しがありそうですね。ただ…いや、ひとまずそこまでにしましょう。あとでもう一度総論的に話します。

 

  • 「たまたまちえりーらんど」発言

今回の件でこれだけは別個に扱う必要があります。他の部分は突き詰めれば運営とファンの信頼関係に終始しますが、これだけは、運営と演者の信頼関係に影響を及ぼす可能性がある。一連の発言内容全体とそのタイミングも影響し得るように思えますが、そこについては「どうなるか予測できなかった」「思い至らなかった」と言われてしまえば、過失止まりです。悪意があってやったとまでは言えない。

「たまちえ」発言をできるだけ好意的に解釈するなら

神楽めあと犬山たまきが呼ばれることに不満を持つファン(この不満の内実も詳しく分別されるところですが、ここではスルー。詳しい方に譲ります)が一定数いるのは分かっているが、たまたまちえりーらんどという名目になっているだけで、そこに花京院ちえりと縁のないvtuberが来てもいいじゃないか

…これでもやや苦しいか。

言葉にはコロケーションというものがありますね。連語とか慣用句とか、この言葉にはこの言葉が続く、みたいな。「たまたま」という言葉はその後の「〜だけ」「〜に過ぎない」など、限定や否定の意味をもつ言葉と裏腹になっています。仮に悪気がなかったとしても、「たまたま」を冠すれば否定的な物言いになってしまう。部外者から見ても、実際問題「ちえりーらんど」であることを軽視してなければ出てこない発言に思えてしまうのですが、ここは最大限好意的に解釈し、その類の発想はなかった、言葉の使い方が下手だったということにしましょう。

もちろん、花京院当人が傷ついたと言わなければ、明確にばあちゃるが謝罪責任を負うことはありません。花京院ちえりの為人をよく知らないわたしには、彼女がどう受け取るかを推測することも出来ません。上司と部下という関係でわざわざ「謝って!」と言う人も少ないでしょう。ばあちゃる氏が自身の発言を省みて、どう思うのか次第です。ファンがどうとかは一度抜きにして、花京院ちえりと自身との関係において、その発言に後悔はないのかどうか。

花京院ちえりのファンも当事者に含むかについては、これもばあちゃる氏次第です。関係あると思うなら、謝罪対象になるでしょうし、関係ないと思えば、言及せず終わるでしょう。部外者のわたしにはなんとも言えません。

 

  • コラボ、運営方針、灰汁どい商売etc

これらについても、部外者から言えることはありません。

 

 

ここまでが、ドットライブ単体の話です。以降は、vtuber全体の運営とファンについての話になります。

 

運営には、2パターンあります。表に出る運営と、出ない運営。

もちろん完全に存在を消すことは不可能です。多かれ少なかれ認識はされる。密に演者とやり取りをするわけですし。あにまーれ等におけるupd8のように、ほとんど名前を貸すだけの所属形態は別ですが。

この界隈では、表に出る運営が比較的多い。以前も述べたように、こういう新しい業界に乗り込むベンチャー志向のトップは、自らにも商品価値を持たせたい人が多い傾向にあります。昔なら堀江貴文、最近ならZOZOTOWNの前澤社長。実態のない業態であればあるほど、経営者自身に価値を発生させ、タレント・ブランド化させることで会社のイメージアップを図る。悪い例なら、言葉巧みなカリスマ詐欺師。その人自身に惚れ込ませることで、得体の知れないものも高額で売りさばくことができる。この界隈で悪い話が絶えないのは、当たり前といえば当たり前です。新興のネットタレントマネジメント業にいち早く手をつけるなんて、ヤのつく人じゃないほうが珍しい。

運営が表に出る必然的な理由はありません。出たいから出る、理由はいくらでもついてくる、というのが実情です。別にそれ自体はどうでもいい。問題は、社会的な立場を背負ったまま発信することへの無自覚さ。今回の件も、ばあちゃるという運営の1人が、生放送で話すことで起きました。しかも、いろんなことを一度に。

すでに指摘されているように、コラボ相手に迷惑をかける人について話すのなら、そのためだけの場を設けるべきだし、運営方針についてファンに理解を求めたいのなら、そのためだけの場を設けるべきです。一度にまとめて話さなければならないなら、きちんと「ここからここまで」と区切りを入れ、相手方に伝わったことを確認しながら進める必要がある。個人的には運営が生放送すること自体どうかと思いますが、せめて綿密な台本を複数人の目を通して作成して臨むべきです。一言一句が、言動のすべてが会社としての公式な態度表明になるという重さ。それに耐えられないなら、表に出るのは絶望的に不向きとしか言えません。不特定多数の人へ己の意思を正確に、力の及ぶ限り誤解の余地を排して伝える努力を、必死こいてやりましたか?という話。そうでなければ何度やっても同じです。やればやるほど、会社としての価値と信用を失うだけ。

 

次。ファンの話に移ります。

かつて神楽めあが特定のファンを貶したことが、今回再びクロースアップされました。

わたしに言わせれば、ファンなんてみな頭のおかしい生き物です(自身も含む)。

「何かのファンである」というのは、「我を忘れて没入した状態にある」ことと同義です。神楽めあのファンだって、関係ない人から見ればまともじゃない。それはどこも一緒。特定のファンに限った話ではありません。vtuberに限った話でもない。野球場へわざわざ観戦しに行くファンが、なぜ狭い座席から遠くの選手を眺めるのに高い金を払うのかといえば、それは偏にアホになるためです。熱中した、わけのわからない興奮状態になりたくてそうする。みんな、自分アホやなぁと分かった上でそうしてるのです。「なんでこんなことに熱中してるんだろう」と冷静になったとしたら、それはファンでなくなったということ。卒業おめでとうございます。

まあ、これは極論です。実際問題になっているのは、節度をもった、他人に迷惑をかけない範囲内に収めているかという点。今回はモンペという言葉でしたが、これまでも厄介オタクやファンチと呼ばれてきました。この境目を定めるのは、意外に難しい。コラボ相手に直接悪意ある言葉をぶつけるとかまでいけば分かりやすくて助かりますが、杞憂民などネガティヴな意見の発信、逆に無条件全肯定の発信、何がどこまでいくとダメなのか。

正直、運営側からすれば、ファンの一意見なんて知ったこっちゃないでしょう。全部まともに聞いてたらキリがない。逆に言えば、個々人がどう考えるかは自由です。仮にそれが運営に通ったとしても、運営が「それはいいね」と判断した結果なのですから、ファンは関係ないといえば関係ない。運営の方針をファンがどうにかできるとは思えないが、少なくとも考えを表明することは自由です。結局のところ、筋が通ってるか、納得いくかが全て。運営がどうするかは運営の自由だし、ファンがどう思うかもファンの自由。運営方針に納得がいかなくて離れる、これもファンの自由です。時間の経過とともに、結果が証明します。

 

一般論ですが、いかにしてファンの不満のガス抜きをするか、これはvtuberの運営にとって結構重要です。今回の件は、運営側もファン側も不満や鬱憤を溜めに溜めて起こった悲劇とも言えます。

vtuberがマシュマロを定期的に配信で取り上げるのも、ガス抜きの一環です。あにまーれなら、因幡はねるは相当ガスを溜めやすい活動方針ですが、その分マシュマロを定期的に消化する。少し前までは正直ガス抜きが追いついてない感じでしたが、今はどうなんでしょう。

ハニストも、今回の件は他人事じゃないでしょうね。比較的似た育て方の箱ですから。以前述べたように、あにハニは先行のにじさんじやアイドル部などを参考にしつつ作られています。ハニストは結果として鎖国的、アイドル売りでかなりアイドル部に近い性質の箱ではある。数字も規模もだいぶ違いますが。わたしがここまで流れてきたのは、規模感がちょうどよかったのかもしれません。一箱片手で数えられる程度なら、全体を把握できる。あるいは単純に逆張り民なところがあって、どんどん人のいないところへ行こうとしたのか。まあ、理由なんて星の数ほどありますね、きっと。

あにハニの運営は、集合体の人格です。複数人が一つの●猫ななし(主に苦労人)を演じる。たまに幼稚な人も混じってましたが、最近は見ません。権限没収されたか、クビになったか。基本、表には出ない。声もなし。出自をハッキリさせたら嫌われる予感があるのかもしれない(特に純粋なハニストファン)。朧げな記憶だと、アドウェイズが商標登録していたと思うのですが、最近めっきり存在感を消している。消しているのか、実際に774.incとして独立した権限を持てるようになったのか。

唯一公式に顔を見せたのは、あにまーれ24時の宗谷さん街角インタビューくらいですか。「1番オタク受け良さそうだし、顔面偏差値高めのお前が行け!」みたいな人選という気がして、ちょっと面白かったのを思い出します。

運営の出方というのは難しくて、少し話は違いますが、ときのそらの友人A。『魔女の家』初見プレイ動画のことを覚えていらっしゃいますか?最初はときのそら作の簡素な絵をアバター代わりに使っていたのですが、良かれと思って途中から3D体のアバターに切り替えたら意外に反発が強くて、すぐ折衷案に切り替えた話。簡素でも、思い入れのある絵のほうがファンにとって良かったというのもありますけどね。裏方の露出の増やし方、という難しさもあった。急に出過ぎると「でしゃばり!」だし、居なさすぎると「物足りない!」だし。そりゃそうです、感じ方は人それぞれ。絶対の正解なんてありません。

あ、そうそう、前回の記事で「少し関係があるかも」と言ったのは、vtuberファンのタコツボ化のことです。銀盾クラスでも把握しきれない理由の一つに、vtuberファンの偏食化があるのでは、と。好きなものを一つ見つけたら、そこだけでお腹いっぱいになるまで食べることができてしまう(供給過多?)。そこと今回のモンペが何か繋がりはしないかと思ったのですが…微妙ですね。いまいちピンと来ないので、前言撤回です。関係ありませんでした。

 

最後に。

色々ありましたが、今回の件で初めて知ったものもあります。アイドル部MMDのMAD。3D体が公開されると、ああいう楽しみ方も出来るんですね。てっきりダンスしてるだけかと思ってました。『走れめめめ』以来、久しぶりにアイドル部MADを見られたことが、今回唯一の収穫です。

それでは。長文乱文失礼いたしました。