由宇霧という在り方

(1876字)

先日、久しぶりに由宇霧のことを思い出しまして。

とくに理由があったわけでもなく、なんとなく。あのvtuber、いま何してるのかなぁって。

 

いやー、ビックリしました。まさか銀盾が見える位置につけていたとは。

 

 

これ、何人かの人には同意を得られるものと仄かに期待しているのですが、vtuberってデビュー当初の段階で、だいたい「あそこらへんまではいくかな」っていう想像がつくじゃないですか。極端にいえば、キャラデザと声だけで「あぁこれは売れる」とか「こら厳しいな」とか。箱によってかかる下限キャップや、ブランド力も含めて。

性格とか人間性も大事っちゃ大事ですけど、キャラクターのその世界における立ち位置とか役割みたいなものって、どうとでもなりますからね。vtuber界隈でもいくつかの典型的なキャラづけがありますし、ちょっとそっちに近づけば、あとはやさしい世界の住人が強化してくれますから。

じゃあ声が全てかといったら、そうもいかないのが難しいところなのですが。これもやさしい世界なので、どんな声でも、だいたい好意的に受け止められます。ガワが良ければ、補正もかかりますし。最低限の滑舌なんかは、それなりにキャリアを積めば意識次第で改善されてきます。これはこれで、聞いていて面白い。

ビジュアルも、実際のところどう転ぶかは蓋を開けてみないとわからない。宇志海いちごのビジュアルが公開された当初は、ほっぺの模様が蓮コラみたいで抵抗あるという意見も散見されましたね。今ではすっかり気にされなくなりました。

 

そんなわけで色んな要素が絡みはするのですが、なんとなく「売れる」「売れない」みたいな予想はし得る。本間ひまわりなんて明らかに「覇権とるな」って匂いプンプンでしたし、最近なら夢月ロアとかも、キャラデザと声でわかりやすく人気が出るタイプだなと思いました。個人的な興味は薄いですが。

 

 

で、由宇霧。最初に知ったときの印象は「確実に需要はあるし、唯一無二だけど、vtuberで人気が出るかは怪しい」でした。キワモノ感というか、最初のうちはどうしても「下ネタオープンキャラなら人気出るやろ」という安直な発想の可能性も捨てきれなかったので。実際は、そんなことありませんでした。ただ、そうだとしても、vtuberとしてやっていけるかはまた別の話で。いかに面白おかしく語られるかが重要になったこの世界で、こういう真剣な、本当の意味で今のネット社会に必要なタイプが、果たして人気商売の荒波を潜り抜けられるか。正直なところを申しますと、無理だろうと思っていました。

だからこそ、その由宇霧が銀盾目前という事実に驚愕したのです。同時に、己の見る目の無さを猛省しました。あぁ、思ってたより、vtuberは悲観的ではないのかな、と。

 

 

由宇霧の足跡を見るにつけ、なかなかこの人は、vtuberの本懐を見事に遂げていると感じました。それこそ、わたしがこんな辺鄙な場所であくせく駄文を書き散らす必要もないのでは?と思わせてくれるほど。それくらい、彼女のものの考え方は、すとーん、としっくりきました。

 

ではそのvtuberの本懐とは何なのか、と思われるでしょう。なかなか説明しづらいのですが…。わたしに学があれば坂部恵の「仮面」をもちだして話を敷衍したりできるかもしれませんが、生憎そんな学は持ち合わせておらず。簡潔に述べます。

 

vtuberになることは、別人格をもつことです。vtuberでなくとも別人格をもつことは出来ます。タレントや芸能人もそう。プライベートなそれと、オフィシャルなそれは違う。一般人も同じ。家と職場じゃ別人のように振る舞うし、そうじゃないとむしろ困るわけです。

vtuberが流行り始めた頃、なぜYouTuberではいけないのか、生身じゃダメなの?という疑問がありました。別に生身でもいいんです、きっちり区別して考えられるなら。でも、なかなかそれは難しい。芸人さんに道端で会ったからといって、勝手に写真を撮っていいわけではありません。オールオッケーなのは、明石家さんまくらいです。あの人は、元の人格すら明石家さんまに乗っ取られてしまってますから。

普通、本来の自分とは違うガワを被ることは、真実から遠ざかると思われがちですが、実はそうではありません。一枚間に挟んで、仮の姿になればこそ、タテマエを捨てて、ホンネを晒け出せるのです。お互いに。

 

そういう意味で由宇霧は、これぞまさしくvtuberという在り方をしている…と、わたしは勝手に思っています。