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さて。
あまり気が乗らないのですが、書かないというのもあれなので…。
ハニストの1stライブ、恙無く終了したとのこと。なによりです。
ライブ告知が大体1ヶ月前。
蒼月エリの引退がそれよりさらに1ヶ月弱前。
改めて見ると、結構ハードスケジュールです。
蒼月エリの引退と、ライブ開催の判断、どっちが先だったんでしょうね。
今までてっきり「蒼月エリの引退による不安感を払拭するためのライブ」だと思っていましたが、主要都市のARライブ可能な箱を複数押さえたことから考えると、ライブのほうが先かもしれない。
いずれにしろ、4人でやると決まってからでないと、演目も組めなければ練習もできません。リアルライブのために集められたメンバーというわけでもない中、よくこの短期間で…という驚嘆がひとつ。
もうひとつは、アイドルとしてのハニストに全く興味のない自分がいることに気づき、愕然とした気持ち。正直、もう少し興味を持つものと思っていました。
もともとアイドルを追っかけることと無縁な人間からすると、ひとつの岐路が来たのかもしれない。
もちろん、アイドルとしてのハニストやそれを楽しむファンを否定するわけではありません。立派に需要と供給の関係が成り立ち、ビジネスとして見れば、かなり安定感が出てきました。むしろ、そうやって楽しめることが羨ましいくらい。
アイドルとそれを応援するファンの関係というのは、非常に興味深いものがあります。
アイドルという職業については以前にも述べました。
また別の角度から言うなら、アイドルは職人と正反対のところに位置しています。
技術やプロ意識がどうこうみたいな話ではありません。
アイドルというのは、一挙手一投足、言動の一つ一つに目が離せない、とファンに思わせることが仕事です。その生き様を見届けたいと思わせるのが、究極のアイドルの在り方。何をするかではなく、その人がするということが、ファンにとってなによりも重要なのです。どんなことがあろうとも、無条件に肯定しようと思える、そういう存在。だから、アイドルという職業でなくとも、十分アイドルしてる場合だってあります。親が子に抱く(あるいはそうであるのが望ましい)無条件の愛情は、その最たるものです。
職人というのは、極端な話、仕事ぶりを見なくてもかまわない。必ずそれを遂行すると信頼しているから。もちろん、それを見ることが目的なら別です。機能美に見惚れたり、技術を学ぼうと目を凝らしたり。でも、普通に仕事を頼むときは必要ない。川相を代打に出したら、もう監督は次のことを考えるでしょう。彼がバントを決めると、信じきっているから。
そういう意味では、安心感のあるアイドルというのは自家撞着かもしれませんね。ファンをやきもきさせてナンボの商売です。
アイドルの追っかけに対して、よく
あの子にだって大事な人がいるんだ、お前なんて数あるファンの1人でしかないんだぞ、現実を見ろ
なんて言う人もいますが、それは半分正しく、半分誤り。
その人たちは、現実がどういうもので、どこらへんにあるのかだいたいの見当がついているからこそ、上手いこと直視せずにいられるのです。それはとても根気の要る、神経をすり減らす行為。そうまでしてでも応援したいという気持ちなら、誰にも否定する権利などありません。
そのへん、女性ファンのほうが律儀というか、義理堅いというか、応援すると決めたら地獄の底までついていくみたいなとこありますよね。勝手な印象ですけど。男性ファンはスキャンダルとかあると、案外コロッと鞍替えしちゃったり。現実を知らないままうっかり足を踏み入れたのなら、それを知ったタイミングで抜け出すのが無難です。
世間一般の尺度に照らせば大したことないと分かりつつも、自分にとってはすごく価値があるんだという…覚悟みたいなものは、どうしても必要になる。両替も買い物もできない貨幣を、大切に握りしめる勇気。これは、アイドルを推すことに限った話ではないかもしれませんが。
今回のハニストの話に戻るなら。
わたしの場合、彼女たちそれぞれのもつ才能が爆発する瞬間をこの目で見てみたいと思い、追いかけてきたけれど、アイドルとしての彼女たちへの興味はなかった。シンプルに言えば、そういうことなんでしょうね。好きな人にとっては、なんだか水を差すようで申し訳ない。気乗りしないと言ったのはそのためです。
実際ライブが行われたら、あーやっぱり観に行けばよかった、次は絶対行こう、となるもんだと思ってました。
観に行った人の反応や様子を聞いても、これはもう自分とは全く異なる層をターゲットにしているのかなと。
好きを同じくする者同士で交流を深めたり、会場で一体感を味わったり、そういうところに良さを見出す人々のためのイベント。それがハニフェスタだった。
vtuberなんて、もともとそういうコンテンツじゃないかと言われれば、まあそうなんですが。
全てを得ることはできません。みな、いつかどこかで取捨選択を迫られる。それを明確に悟ったのが今回、というお話でした。