アイドルという職業はない

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本来、アイドルという職業はありません。

群衆に有無を言わせず納得させるほどの美貌、技術、あるいは精神ーー有り体に言えば才能ですがーー、そういったものを備えた人が一芸を極めた結果、人々はその人物に傾倒し、崇拝するようになる。アイドルとは、結果的にそうなっている立場であって、自ら名乗る性質のものではありません。語源を辿れば偶像崇拝がうんぬんと、擦り倒された議論を振り返るまでもなく。

 

今の日本で最もアイドルと呼ぶにふさわしい人物を一人挙げるなら、それは羽生結弦でしょう。これは別に、蒼月エリに感化されたわけではなく、だいぶ前からオネエタレントの方々が指摘している通りです。彼…彼女たちのアイドルに対する入れ込み具合、熱量といったら、恐ろしいものがあります。当然それは、気軽に憧れを口にできる人と違って、自分の中で抱え込んだまま整理し、消化せざるを得ない状況にあったからこそです。

 

それはさておき、羽生結弦のアイドルたる所以は、自意識の高さです。見られているという意識。これを極限まで高めた人こそアイドル、という言い方もできるかもしれません。

そもそも、フィギュアスケートは採点競技であり、どのように見られるかを意識することが根底にあります。回転不足かどうかという技術面も、音楽を理解し表現するという芸術面も。

そして、彼は競技以外の場面でも、どう受け取られるかを可能な限り把握した上で、言動をコントロールしています。

海外の女子選手にツーショットをねだられたら、どのくらいの距離感で接するのが良いか。記者会見で、「投げてもらうのはプーさんよりお金が良かったのでは」などと見当違いも甚だしい質問をされたら、どう返答すべきか。

このあたりの感覚は、若い時分に身体で覚えるしかありません。社会で未だにハラスメントの認識違いが起こるのは、これを会得せずに大人になってしまった人が数多いるから。時代といってしまえば、それまでなのですが…。

 

先日引退したイチローもまた、アイドルでした。彼ほど見られている意識の高いプロ野球選手を、私は知りません。ただ、彼の場合、イチローとしてあるべき立場が大きくなりすぎた結果、もとの鈴木一朗はほとんど消え、イチローを常に演じ続ける不自然さがついて回りました。この世代では、上述の感覚を会得する機会はほとんどなかったろうと推察します。時代が強いた無理難題を、彼は彼なりに務め上げたのだと、私はそう思っています。

 

本当はVRアイドルえのぐについて書くつもりでしたが、今日投稿された『言って。』を聴いたら、なんだか別のものが溢れてしまいました。えのぐについては、また後日としましょう。