vtuberは誰のもの?

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ゲーム部の騒動を、運営側の発表も含め、あらためてきちんと確認しました。その結果、これは騒動というより、人権侵害に近いことが起きていたのだと認識するに至り、再び記事を書いています。

 

vtuberと中の人の問題については、もう少し力を溜めてから書くつもりでした。が、もうこの界隈には限界が迫っているようです。今書かなければ時期を逸するでしょう。

 

どうして、vtuber界はこうなったのか?

個々の運営体制に問題があった、それは確かです。しかし、それだけではない。もっと根本的なところに原因があります。

 

人格を、切り離して考えられないこと。特に日本人は、この傾向が強い。そこが諸悪の根源です。

 

前にも言ったように、ヒカキンはヒカキンであって、ヒカキンではありません。キムタクも同じく。あらゆる人がそうです。国の要職に着く公人、芸能人をはじめとした半公人、ごく普通の会社勤めをこなす一般人でさえ。

 

『24人のビリー・ミリガン』のような多重人格者を知って、あなたはどう思うでしょうか?

「なんてたくさんの顔を持っているんだ」?「自分じゃ考えられない」?

 

いいえ、いいえ、それは間違っています。

逆です。少なすぎるのです。

 

人は、友達の前と、先生の前では、違う顔を見せます。怖い先生と、優しい先生でも違ってくるでしょう。若かりしあなたは、それを良しとしなかったかもしれません。相手に合わせてコロコロ態度を変えるなんて、不届き千万だと。しかし、それは違います。健康な精神状態にある人ほど、柔軟に自らを相手に合わせることができます。相手に合わせるのが辛いときは、心の余裕がなくなっているときです。

人は、無数の顔をもっています。24どころではありません。それはグラデーションのようになっています。それなのに、無理やり線引きをすればどうなるか?それが多重人格です。虹は七色ではありません。日本人の場合は、その多色の帯を七つに分けて認識するというだけのことです。

 

羽生結弦をナルシストと見る向きもありますが、それは当たり前です。彼はすでにただの羽生結弦ではなく、その競技におけるトップアスリートであり、国を代表する人間です。自意識過剰なくらいで十分なのです。少なくとも、桜田前五輪復興担当大臣より遥かにマシです(比べるのも失礼なくらいに)。

 

アイドルが結婚するたび阿鼻叫喚するそこのあなた。

アイドルはあなたの擬似彼女ではありません。アイドルとしての彼女と、プライベートの彼女は、全く別の人格です。

 

vtuberと、中の人も、やはり別人格です。

それなのに、vtuberの中の人は、表舞台に立つどころか、立派に中の人として務めを果たしていることすら明記されず、中の人がいるという事実までも公に認められることはほとんどありません。

このような状態になければ、仮に今回のような事態が起こっても、中の人の人格として、早い段階で外部に向かって堂々と発信することが出来たでしょう。

しかし、今はvtuberと中の人が混同されている。中の人としての人格は、ほとんど塗りつぶされています。事情を知る一部のファンが気づくまで、今回の事件は明るみに出なかった。そのことが、全てを物語っています。

 

アズマリムの決死のSOSは、アズマリムという複数人で作り上げた人格に、風穴をあけることで行われました。そうするしか、方法がなかったから。そうしなければ、中の人の人間性が踏みにじられていたから。

あのときの教訓は、全く活かされてません。それがなによりも哀しい。

 

芸能人のプライベートを漁って飯の種にしたり、他の人と同じように暮らしたいだけの有名人に付きまとったり、そういう文化が蔓延る限り、日本に未来はありません。

同様に、vtuberと中の人を切り離して話し合える世の中が訪れない限り、vtuberに未来はありません。

 

このブログは、そういう世界を目指して書かれています。