「○○助かる」を考える(追々記あり)

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スナック菓子感覚で、かるく書きます。

唐突ながら、ふと気になったんです。vtuberの配信でよく見かける、「○○助かる」というあのスパチャ。何がどう助かっているんだろう?と素朴な疑問を抱きながら幾星霜。たぶん、探せばきっと先行研究があると思うのですが、楽しそうなのでつらつら考えていました。

 

第一義的な意味は、おそらくその人にとって何か実用的な使い道があって、それで「助かる」というもの。何がとは言いませんが。といっても、今こういう用途で使う人は稀でしょう。そもそもセクハラですし、本当にその必要性に駆られているなら、わざわざこんな回りくどいコンテンツに求めずとも、幾らでもそのためのコンテンツがある。ヒトのその手のものへの探究心には、ほとほと感心します。

 

じゃあ何が助かるのか。一つには、シンプルなところ「お金を使える」。お金を使うことは、人間のストレス発散手段のなかでもかなり重要な位置を占めます。それなりに効能の一般性がある。精神健康に欠かせない。もちろんアルコール等と同様、中毒的にハマる危険性もありますが、人間として生きるうえで経済活動における消費は不可避。仙人のように暮らすとしても、世界との物々交換は避けられない。況や常人をや、です。また、生産活動への参加はある程度のハードルが存在しますが、消費はそうでもない。そうでもないなりに、適度なコミュニケーションも生じる。そういう意味で、お金を使うこと自体にメリットがある。

 

もう少し突っ込むなら、お金の使い道を肩代わりさせられる、というところに行き着きます。お金というのは、使われてはじめて「あぁ、あって良かったな」となります。基本的に手元を離れてこそ意味をもつ。もちろん、貯金に快感を得る場合には貯めるだけで良いのですが、その場合も貯金用のお金として使われていて、それを改めて別の用途に使いたくはない。あるいは、精神安定上これだけの預金があると安心、という使い道。保険に入るのと似てますね。

使い道を見失った可処分所得はストレスを生む。だから、その使い道をペンディングして他人に任せてしまうことは、一種荷下ろし的な効能を持ちます。自分の好きな/信頼する/見込んでいる誰かに投資する、きっとこのお金に有効な使い道を与えてくれる、という話。なんだか株みたい。芸術家のパトロンなんかも、そんな感じなんでしょうね。いつかこいつの評価される日が来る的な。

 

他にも、投資対象に承認されるため、という使用目的もあるでしょう。アイドルとか、水商売でよく聞きますね。

 

こう考えると、なかなかスパチャというのは奥深い。言ってみれば金銭授受なんですが、理由がなくてもかまわない。いつか政治家に目を付けられてもおかしくない。余談ですけど、麻生太郎さんってすごく配信者向きだと思います。

 

 

…まあしかし、一度もスパチャをしたことがないやつの言うことですから、皆さん眉に唾をつけてゆるーく聞き流しておくんなまし。

おしまい。

 

追記の結論:「○○助かる」とは、「スパチャする隙を与えてくれてありがとう、○○助かる」…なのかもしれない。

 

更に追記:書きそびれたものを思い出しました。重要な特徴として、「心を許しているように思える行動」について使われることが多い。くしゃみをしたり、鼻歌を歌ったり、欠伸をしたり、おならをしたり、げっぷをしたり。失礼っちゃ失礼だけど、親しい仲なら「ごめん」で済む、そういうやつです。

精神的な近さ、警戒を解いていることに対して「ありがとう、○○助かる」な側面も、あるかもしれませんね。