下手な褒め言葉は貶すと同義

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簡単に言ってしまうと、プロのサッカー選手に「サッカー上手ですね」とか、そういう話なんですが。なんでまたそんな話をするのかというと、先日のシュガリ獅子王クリスの初配信を聞いて、ふと思い出したから。

たとえば崎山蒼志の『五月雨』には、いくつか比喩表現が出てきます。「虫のように小さくて」「炎のように熱い」「美しい声の針」「あなたが針に見えてしまって」あたりですかね。で、もしこれに「こんな比喩を思いつくなんて、彼は天才だ!」みたいな褒め方をすると、それは馬鹿にしてるのと大差ないという話。

だって、小さいものの喩えに虫で、熱いものの喩えに炎ですよ?声を針に喩えるのも、一般的な日本語のイディオムで「言葉にトゲがある」とか「言葉のナイフ(暴力)」とかありますし、なんなら辞書には古文で使われていた「言葉の針」という表現そのものが載っています。全く独自の比喩表現ではない。むしろそこが狙いであって、ほとんど直球の、ありきたりな表現だからこそ、あの思春期ど真ん中の曲にはふさわしいのです。この比喩に「らしさ」とか個性を見出してしまうようなら、作品を楽しむ上で最低限必要な教養が、絶望的に足りていないことになります。それは別に悪いことではなくて、足りなければその都度学べばいい話。だって、本当にその曲を好きでよく聴いたのなら、どこかで自分の解釈がおかしい、ズレてるなと気付くはず。

同じ作者の『夏至』の比喩表現をみてみましょう。「虫のように強く」「果物のように美しい」(今日の空は鰐の背中みたいだな)「獣のように繊細で」「刃物のように綺麗な」ですかね。かっこにした鰐の背中を除くと、やや一般的な感覚とはあえてズラした比喩になっています。虫は「小さい」「か弱い」と結びつきやすく、強さの喩えに虫というのは、あえて逆を狙っています。果物と美しいは、微妙ですね。判断に困る。ありきたりとまでいかないが、ハズしてるほどでもない。音を重視したのかな?というくらい。獣はどうしても人/獣の対立構造が強く、「理性的でない」「本能的」「野蛮」「逞しい」と結びつく。どちらかというと「粗野」ですね。そこをあえて「繊細」の喩えに使った。実際、野生動物ってかなり繊細な生き物です。最後の刃物と綺麗は、わかりやすい。刃物といったら、基本的に凶器として捉えた場合の呼び名です。料理道具や芸術品としての側面もありますが、家庭科の授業なんかで「刃物ですから」ときたら、その後には大抵「取り扱いには十分注意して下さいね」と続くでしょう。刃物と呼ぶ場合は、その美しさに重点は置かれていない。けど、あえて刃物を綺麗なものの喩えに使っている。空を鰐の背中に例えるのは、いわゆるうろこ雲の派生表現なので、そこまで変ではない。

 

要はまあ、そういうことです。

おしまい。