ホットペッパービューティでケツを拭いたらホットになるのかビューティになるのか問題

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  • 教祖

だいぶ前の朝ココで聞いた話。

桐生ココが大学だか大学院だかの進路相談する時期になって、教授に「おそらくあなたは◯◯が天職だ」と言われた。その職業というのは…職業というか微妙ですが、宗教の教祖。

これ、非常に的を射ている。まあ、この方はどの道に進んでも人並み以上の結果を残したでしょうけど。教祖として成功する姿が目に浮かぶ。

カリスマ性というのでしょうか。この手の教祖とか、配信者とかにはそういうものがつきものです。人気の有無に関わらず、多かれ少なかれ持っている。本当に、やろうと思えば悪用できてしまうくらいのものが。受け取る側も、重々気をつけましょう。

 

  • 論破

この前電車に揺られてたら、右のほうのリーマン2人の会話がふと聞こえました。

「論破は…したいよね」

「うん」

ビックリしました。論破…したいんですね。しかもこの2人にとって、それは当たり前のことだった。てっきり否定待ちのネタかと。あるいはコント風漫才の導入かと思いました。

論破してまで、他人を説得させたい。相手の持論を曲げさせて、こちらの主張を飲ませなければならない。そういう必要性に満ちた因果な世界も、この世のどこか身近なところにあるのだなぁ。少し、大人になれた気がしました。

 

  • はねパトサシ飯

なんというか、漫画でいうと前作で絡みのなかった人気キャラが今作でまさかのタッグ的な、そういうワクワク感がありますね、この2人は。単に飯食う約束しただけですけど。

 

ネットサーフィンしているとニュースの見出しが目に入りますが、ときどき「そんなん知らんがな!」というものに出くわします。でも、あれはそういう戦略なんだな、とふと思い直すわけです。

ツッコミは気持ちいいから。あえてツッコミどころを作る。炎上商法にならない程度に。

そういえば、この前杏戸さんの雑談で個人的にツボなエピソードがありました。

ブイアパメンバーで会話中、流れで「もしブイアパにVtuberとして◯◯さんが来たらどうする?」という話に。◯◯さんは、その人にとっての尊敬する人とか、同業の有名プロとか、そういうやつ。花奏さんには「もし野田洋次郎がブイアパにVtuberとして来たら」。もちろん、色々聞きたいことを聞いたり、一緒に音楽作ったりしたい…というところに落ち着きます。ところがですね。鴨見さんに「もし新海誠がブイアパにVtuberとして来たら」どうする?と質問したところ。うーんと悩んだ末にこう答えました。

新海誠は声が可愛くないから、たぶんVtuberになれないし、なっても人気は出ないのだ」

これもある意味で、無自覚なツッコミ誘発。一応双方の意図もわかりますが、若干食い違った。

別に本気で聞いていないんですよね。だってなるわけないし。雲の上の人だし。でも、この回答は対等な立場にいる。バチバチです。

新海誠というのがズレの原因かもしれない。たぶん、リアリスティックな風景や頭身からして作風や方向性が全然違うし、明確な上下関係にない…という意識だったのでしょう。じゃあ誰なら良かったのか。答えは沈黙。

 

  • お気持ちのお気持ち

人気があるとかないとか、もっと多くの人に見てほしいとか、色々あるのでしょうけど。

そもそも全部1桁多いんですよ。同接も、登録者数も。これは過小評価というより、実際同じことをしていた頃を思えば、今がなんと恵まれた環境かと。最初は同接1桁、中堅で2桁、人気者で3桁、超人気者で4桁。登録者数1000でもう大台、万単位なんて限られた人しか踏み入れられない聖域だった。

単純に比較はできませんけどね。戌神ころねのように、以前のファンからは不評でも、数字として大成功な場合もあるわけで。求められるものも、当然変わっている。

結論。戌神さん最初に気づいた人すごいなぁ。

 

  • 『五月雨』の転調

あれだけ言っておきながら今さら、と思われるでしょうが、そうなんです。今さら気づいたんです。『五月雨』の転調。

いや転調そのものにというより、最後のパートがAメロで、それを途中から転調させている(?)ということ。

歌詞の嵌め方が全然違うだけで、ああも新鮮に見せられるんですね。節穴でした。

いや、この場合は耳の穴が塞がっていたのか?

 

  • ミルクボーイが叩かれない理由

ぺこぱと一緒くたにして「人を傷つけない新しい笑い」みたいに言われて、いやいやそんなことないよ!という流れ、よく見かけますよね。

実際、ミルクボーイのネタは関西の伝統的なディスり芸です。大抵は、自分の出身地とかをディスる自虐ものですが、ミルクボーイはあらゆるものにそれをする。自分と関係ないものもディスる。毒舌キャラがウケたのは昔のお話です。

じゃあ、どうして反発を受けないのか。答えは簡単で、漫才まるまる一本、それについての内容だから。もし「コーンフレークは生産者さんの顔が浮かばへんのよ〜」を、別の話の途中でちょろっと触れる程度だったら、反感を買ったでしょう。何かを上げるために別のものを貶すのは、忌み嫌われます。

しかしミルクボーイの場合、ずーっとそれについての話しかしない。なんやかんや言うてるけど、これだけよく観察した上でのことなら「愛のあるいじり」やな。と、一般的には受け取られます。個人的には「愛のあるいじり」って言葉、苦手ですけどね。そんなの人の匙加減だから、虐めと線引きしようもない。

そんなわけで、ミルクボーイはコンプラ全盛の時代にあっても無敵なのです。相手を間違えなければ。

 

 

おしまい。