なぜ、書かないの?

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この数日、本当にいろんなことが起きていますね。明日も明日でありますし、正味のところ、こんなブログ読んでいる場合じゃないでしょうけど。2日にいっぺんを崩すのも気持ち悪いので、小さい記事だけ書きます。

 

事あるごとに伝えていますが、このブログはどういうつもりで書かれているのか、ということについて。

くどいと思われる方も多いでしょうが、この点に関しては、いくら確認してもし過ぎるということはありません。自戒の意味も込めて。

 

まず、このブログは「読まずに済むのならそのほうがずっと幸せなブログ」です。世の中には、知らなくてもいいことがたくさんあります。ときには色々とオブラートに包んだ言い方もするので、もやもや、いらいらするかもしれない。それはもう、仕方のないこと。読むか読まぬか、読んだ上でどう感じるか、どう扱うかも含めて、すべて自由。

 

はっきり言って、読むのに体力の要る文章です。ありがたいことに「読みやすい」と言ってくれる方もいますが、それなりの読む動機がなければ、億劫になってしまうものばかりです。

 

じゃあどうして書くのか?

 

逆に、みんなはどうして書かないの?

 

種々多様な媒体でvtuberに関する情報が発信されていますが、ほとんど意味のない情報になっているのが現状です。

「好き」とか「嫌い」とか、そりゃ閉鎖的にもなりますよ。そのものを知ってる人でないと、共有できない感情なのだから。

そういう感情自体は、尊重すべきものです。それが、どれだけその人のなかで消化できて、他人にも共有し得る情報にできるか。その割合が増えていかないと、いつまでたっても事態は進展しません。

 

本来は匿名掲示板がその役割を担うはずでしたが、いわゆる「やさしい世界」の反動でたまった鬱憤の捌け口になってしまった。あるいは、匿名掲示板ですら「やさしい世界」に毒されて、場合によっては「中の人の話題はしてはならぬ」とか、そういう両極端に振れた。

 

vtuberについて、まともに建設的な議論をし得る場所は、ほぼゼロです。

でも、今思ってること、感じてることを形にせずにいたら、そのうち全部どうでもよくなっちゃうかも知れない。一人一人「どう思うのか」を表現することが、何よりも大切です。別に最初から完璧である必要もない。なしで済ましているうちに、本当になくなってしまうことのほうが、よほど危険です。

 

だから、わたしはこのブログを書き始めました。vtuberというものにスッパリ興味をなくすかどうかの瀬戸際に立つ人の、最後の砦でありたいと願って。vtuberへのささやかな情熱が、まだ彼らの内で眠っていると信じて。