信用ロンダリングについて

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ネット上の人格は、いとも容易く抹殺されます。

もちろん、社会的にという意味で。

 

身に覚えのあること・ないこと(大抵は、その両方)が噂として拡散されたが最後、ネットの海で一生つきまとうことになります。

 

一方で、生まれ変わることもまた容易です(少なくとも、現実世界に比べれば)。もちろん、それまでの実績や数字は置き去りにしなければなりませんが、補って余りあるメリットの前では、些細なことです。

 

社会的に抹殺されかねない噂というのは、たいてい倫理的な罪に関するものです。

いわゆる犯罪は、刑事的に責任を問われ、相応の処罰が下り、罪を償うというプロセスを経て、一応は解決を迎えます。当然、被害者側の感情など、解消されえない部分も存在しますが…。

倫理的な罪、不道徳、というのはどうでしょうか。民事事件として訴訟がなされ、当事者間でのやりとりの結果、一定の結論を得るというのが、まあ基本的なパターン。

この場合、第三者は無関係です。無関係ですが、いや、だからこそ、最もひずみが蓄積します。刑事罰のようなシステムがない分、しわ寄せがいく。有形無形のプレッシャー、突き刺さる視線。針のむしろ。

 

ここ数年、不倫をした芸能人が矢面に立たされること、格段に増えましたね。時代の流れといってしまえばそれまでなのですが…。

そもそも、芸能人は形のないものーーイメージであったり、キャラクター性であったりーーを売り物にすることの多い商売です。その部分が大きければ大きいほど、人間性、人格、倫理観の影響は凄まじい。AIに人間の仕事のほとんどは取って代わられるだろう、なんて言われる時代性も、関係あるのかもしれません。人間の人間らしさとはなんぞや、と出口の見えない疑問に囚われ、曖昧なものにすがったり、とか。

少し前、村上春樹が雑誌『MONKEY』で「小説家とはなんぞや」的な文章を書いていました(調べてみると、『職業としての小説家』という本になっているようです)。ふと目を通しただけなので恐縮ですが、次のようなことを述べていた記憶があります。

会社勤めの我々は、やっぱり交換可能な歯車でしかなく、村上さんのような小説家とは、性質が異なるのではないか…というような読者の意見?があって、それに応じて曰く、確かに全く同じではないかもしれない、けど、小説家は小説家で、なきゃないで済むものでもある。村上春樹の書く小説は、他の人では書けないから、そういう意味で代替不可だけど、無ければ生活が回らない、的なものでもない。そういう意味では、似たところもあるよね…

という朧げな記憶。間違ってたらすみません。でも、こーゆーことが、芸能人とか、プロ野球選手とか、vtuberにも言えると思うんです。

一次産業から、二次、三次といくに従って、具体的な商売から、それこそバーチャルな商売へと変化する。

ベンチャー企業のトップなんか、わかりやすいですよね。その人自身を売り物にしていく感覚。ホリエモンとか、前澤さんとか。ZOZOというファッションブランドがあるのではなく、まあアイデア勝負というか、ネット上の場所貸しみたいなものです。これに付随して、vtuber運営がどの程度露出するか、というのも大変興味深いのです…が、流石に今は余裕がありません。また後日。

 

その人にしかできない、国宝に指定されるレベルの職人。仮に不倫したとしましょう。でも、それじゃなきゃダメなんだと思う人は、きっとそんなの関係なく、その人に仕事を依頼するでしょう。ほかにいないのですから。

 

逆に、目に見える形で唯一性を保証されない人たち。彼らは?

熱心なファンは、彼らが代替不可な存在だと知っています。しかし、それに一般性をもたせる、証明する、というのはかなり難しい。下痢便をトイペで完璧に尻から拭いきるのと同じくらい、難しい。

 

長い割に、これといった結論の得られない(しかも汚いオチの)記事になってしまい、申し訳ありません。

しかし、こう…何かしら、伝わってくれればと。そう願って、ひとまず終わりにしましょう。