なぜ、書かないの?

(1098字)

この数日、本当にいろんなことが起きていますね。明日も明日でありますし、正味のところ、こんなブログ読んでいる場合じゃないでしょうけど。2日にいっぺんを崩すのも気持ち悪いので、小さい記事だけ書きます。

 

事あるごとに伝えていますが、このブログはどういうつもりで書かれているのか、ということについて。

くどいと思われる方も多いでしょうが、この点に関しては、いくら確認してもし過ぎるということはありません。自戒の意味も込めて。

 

まず、このブログは「読まずに済むのならそのほうがずっと幸せなブログ」です。世の中には、知らなくてもいいことがたくさんあります。ときには色々とオブラートに包んだ言い方もするので、もやもや、いらいらするかもしれない。それはもう、仕方のないこと。読むか読まぬか、読んだ上でどう感じるか、どう扱うかも含めて、すべて自由。

 

はっきり言って、読むのに体力の要る文章です。ありがたいことに「読みやすい」と言ってくれる方もいますが、それなりの読む動機がなければ、億劫になってしまうものばかりです。

 

じゃあどうして書くのか?

 

逆に、みんなはどうして書かないの?

 

種々多様な媒体でvtuberに関する情報が発信されていますが、ほとんど意味のない情報になっているのが現状です。

「好き」とか「嫌い」とか、そりゃ閉鎖的にもなりますよ。そのものを知ってる人でないと、共有できない感情なのだから。

そういう感情自体は、尊重すべきものです。それが、どれだけその人のなかで消化できて、他人にも共有し得る情報にできるか。その割合が増えていかないと、いつまでたっても事態は進展しません。

 

本来は匿名掲示板がその役割を担うはずでしたが、いわゆる「やさしい世界」の反動でたまった鬱憤の捌け口になってしまった。あるいは、匿名掲示板ですら「やさしい世界」に毒されて、場合によっては「中の人の話題はしてはならぬ」とか、そういう両極端に振れた。

 

vtuberについて、まともに建設的な議論をし得る場所は、ほぼゼロです。

でも、今思ってること、感じてることを形にせずにいたら、そのうち全部どうでもよくなっちゃうかも知れない。一人一人「どう思うのか」を表現することが、何よりも大切です。別に最初から完璧である必要もない。なしで済ましているうちに、本当になくなってしまうことのほうが、よほど危険です。

 

だから、わたしはこのブログを書き始めました。vtuberというものにスッパリ興味をなくすかどうかの瀬戸際に立つ人の、最後の砦でありたいと願って。vtuberへのささやかな情熱が、まだ彼らの内で眠っていると信じて。

コメント所感【授業、ハニスト、配信者】

(2428字)

久しぶりですね、コメント所感。

久しぶりすぎて、どうやって書いていたのか忘れるくらい。

 

 

そもそも、このブログはどういう心算で書いているのかといえば、大学の講義用ノートみたいなスタンスです。

バーチャル大学vtuber学部(すごくFランっぽい名前…)で開講される、誰が聴いてもかまわない、出席も適当、まあレスポンスシート2〜3回出して、最後にゆるいレポート書けば単位あげるよ〜っていう夢のような講義があるとすれば、どんな風になるのかしら?

そういう妄想を形にしたもの。

ときどき難しい言い回しがあるのは、高尚に見せたいわけじゃなく、読み終わった後に何か残れば、との思い。今読んだこの文章の内容も、10年もすれば頭から抜け落ちます。辛うじて覚えていられるのは、はじめて聞いた言葉とか、意味を知らなくてこっそりググったフレーズとかです。自分でも「へ〜」とか思いながら書いています。

中学で受けた授業の中身は忘れても、「朝食の前に歯磨き粉で歯を磨くべきか否か」という下らない話は覚えている。高校の友達に「塩梅」の読みを教えてもらったときのドヤ顔が忘れられない。そういうものです。

 

余談ですが、今では「ちゃんと出席を取って成績に反映する」ほうが大学生に有り難がられる…みたいな話を聞きました。実際のところどうなんでしょうね。好成績をとりたい人からすれば、そのほうが良いのかもしれません。

余談ついでにもうひとつ。じゃあどういう授業が好みかというと、大学で受けた柴田元幸先生の翻訳の授業なんかは、一つの理想形です。だいぶ前のものが書籍化されてますね。同じ英語の短編小説を各自訳して、かなり細かく赤ペンを入れてもらった上で、いくつかのデキの良い訳をみんなして「あーでもないこーでもない」とブラッシュアップしていく。実際やろうとしたら、とんでもない労力です。赤を入れるだけでも先生とTA(補助の院生)4人がかりとかになります。受けるほうも受けるほうで、やたら分厚い鈍器みたいな辞書引きながら訳して、真っ赤になって返ってきたのを見てはダメージを食らう…みたいな。個人的にはやや盛って書く悪い癖があって、そこは明確にノーでしたね。原文のテンションを反映するようにと。

 

とてもそこまでは出来ませんが、まあ要するに、フィードバックは大事だよねって話。コメント所感も、その精神から来ています。

 

 

で、やっと本題。前回の記事へのコメントですね。

 

アイドルとしてのハニストに興味を持てず、愕然としたわたしに「そこまでダメージ受けなくてもいいのでは?」とのこと。仰る通りです。

これも、さっき言った「盛り過ぎる癖」なのかもしれません。書いてるうちに、実際そういう気分になったのも事実ですが。

あと、ハニストをすごく好きな人が読むのでは…という想定を、どうしてもしてしまうので、かなり保険をかけた書き方になってますね。極力反感を買わないような書き方に。わたし自身はミーハーというか、有名どころを放浪してハニストに行き着いた身なので、そこまで「好き」に自信をもてません。

実際は、このコメントの方くらいの距離感で応援している人も多いはずなんですけど、どうしても目に見える意見って、熱心な人のものに偏りがちですからね。難しいものです。

 

 

次に。アイドル活動も、ポテンシャルの一つと捉えられるし、別に今までを捨ててアイドルになるわけでもないよ、とのこと。たしかにそうですね。まあ、こちら側としては特に変わらず、見守るだけです。

ただ、最近(特に蒼月エリの引退以降)アイドルムーヴというか、「みんなもハニスト大好きだよね❤️」的な姿勢が先鋭化してきたかなー…と。今度の箱企画は個別フォーカスではなく、「ハニスト王」だそうですし。それはそれで生き残るための方法ですから、否定はしません。色々とお金を落としてくれる熱心なファンが一番の顧客であることは、間違いない。その層を手厚くもてなし育成することで、コンテンツの体力は養われます。

 

最後。才能の爆発は、すなわち「ガラス割って飛び出」すことと表裏一体ではないか、とのこと。蒼月エリのように。

これは、その通りです。このテーマだけで一つ記事が書けるくらいの含みがあるのですが、手短に。

配信者としてのvtuberは、かなり特殊な職業です。

たしかに昨今のvtuberブームで、配信者というものが、明確に急速に仕事として成立するようになりました。今までもストリーマーはいましたが、だいたいはプロゲーマーとしての活動がメインだったり、趣味の延長上だったり。そこから考えると、かなり事情は変わってきました。

とはいえ。根っからの配信者というのは、非常に稀です。大半は売れない声優、歌手、その他様々な才能の持ち主が、訳あって流れ着くというパターン。そこに腰を据えようというのは、なかなか覚悟が要ります。最近は、配信者として実績のある人材を登用する流れになっていますけどね。

だから、vtuberから次のステージへ進むことに関しては、当人の望みであれば叶ってほしいと考えています。(2019/07/21 追記:これは当然、次のステージに立つ姿を見られると期待してのことです。何年かかるかは分かりませんが。)

それは、別に配信者としてのvtuberという職業を蔑ろにしているわけではありません。はっきり言って、相当特殊な職業です。やるだけならハードルは低いが、成功するのは一握りで、向き不向きがある。そのうえ、アニメの声優のようにクレジットが残ったりしないので、次の仕事へ繋げにくい。

配信者が天職だと自信をもって言える人ならいいのですが、そうでない人にとっては、なかなか酷な商売です。

 

 

最終的にはこのコメントの受け売りですが、気長にまったり楽しむのが吉、というところでしょうかね。

 

いや、長くなりました、今日はここまで。

またお会いしましょう。

アイドルとしてのハニスト

(2799字)

さて。

 

あまり気が乗らないのですが、書かないというのもあれなので…。

 

ハニストの1stライブ、恙無く終了したとのこと。なによりです。

 

ライブ告知が大体1ヶ月前。

 

蒼月エリの引退がそれよりさらに1ヶ月弱前。

 

改めて見ると、結構ハードスケジュールです。

蒼月エリの引退と、ライブ開催の判断、どっちが先だったんでしょうね。

今までてっきり「蒼月エリの引退による不安感を払拭するためのライブ」だと思っていましたが、主要都市のARライブ可能な箱を複数押さえたことから考えると、ライブのほうが先かもしれない。

 

いずれにしろ、4人でやると決まってからでないと、演目も組めなければ練習もできません。リアルライブのために集められたメンバーというわけでもない中、よくこの短期間で…という驚嘆がひとつ。

 

 

もうひとつは、アイドルとしてのハニストに全く興味のない自分がいることに気づき、愕然とした気持ち。正直、もう少し興味を持つものと思っていました。

もともとアイドルを追っかけることと無縁な人間からすると、ひとつの岐路が来たのかもしれない。

 

もちろん、アイドルとしてのハニストやそれを楽しむファンを否定するわけではありません。立派に需要と供給の関係が成り立ち、ビジネスとして見れば、かなり安定感が出てきました。むしろ、そうやって楽しめることが羨ましいくらい。

 

 

アイドルとそれを応援するファンの関係というのは、非常に興味深いものがあります。

アイドルという職業については以前にも述べました。

 

また別の角度から言うなら、アイドルは職人と正反対のところに位置しています。

技術やプロ意識がどうこうみたいな話ではありません。

アイドルというのは、一挙手一投足、言動の一つ一つに目が離せない、とファンに思わせることが仕事です。その生き様を見届けたいと思わせるのが、究極のアイドルの在り方。何をするかではなく、その人がするということが、ファンにとってなによりも重要なのです。どんなことがあろうとも、無条件に肯定しようと思える、そういう存在。だから、アイドルという職業でなくとも、十分アイドルしてる場合だってあります。親が子に抱く(あるいはそうであるのが望ましい)無条件の愛情は、その最たるものです。

職人というのは、極端な話、仕事ぶりを見なくてもかまわない。必ずそれを遂行すると信頼しているから。もちろん、それを見ることが目的なら別です。機能美に見惚れたり、技術を学ぼうと目を凝らしたり。でも、普通に仕事を頼むときは必要ない。川相を代打に出したら、もう監督は次のことを考えるでしょう。彼がバントを決めると、信じきっているから。

 

そういう意味では、安心感のあるアイドルというのは自家撞着かもしれませんね。ファンをやきもきさせてナンボの商売です。

 

 

アイドルの追っかけに対して、よく

あの子にだって大事な人がいるんだ、お前なんて数あるファンの1人でしかないんだぞ、現実を見ろ

なんて言う人もいますが、それは半分正しく、半分誤り。

その人たちは、現実がどういうもので、どこらへんにあるのかだいたいの見当がついているからこそ、上手いこと直視せずにいられるのです。それはとても根気の要る、神経をすり減らす行為。そうまでしてでも応援したいという気持ちなら、誰にも否定する権利などありません。

 

そのへん、女性ファンのほうが律儀というか、義理堅いというか、応援すると決めたら地獄の底までついていくみたいなとこありますよね。勝手な印象ですけど。男性ファンはスキャンダルとかあると、案外コロッと鞍替えしちゃったり。現実を知らないままうっかり足を踏み入れたのなら、それを知ったタイミングで抜け出すのが無難です。

 

 

世間一般の尺度に照らせば大したことないと分かりつつも、自分にとってはすごく価値があるんだという…覚悟みたいなものは、どうしても必要になる。両替も買い物もできない貨幣を、大切に握りしめる勇気。これは、アイドルを推すことに限った話ではないかもしれませんが。

 

 

今回のハニストの話に戻るなら。

わたしの場合、彼女たちそれぞれのもつ才能が爆発する瞬間をこの目で見てみたいと思い、追いかけてきたけれど、アイドルとしての彼女たちへの興味はなかった。シンプルに言えば、そういうことなんでしょうね。好きな人にとっては、なんだか水を差すようで申し訳ない。気乗りしないと言ったのはそのためです。

 

実際ライブが行われたら、あーやっぱり観に行けばよかった、次は絶対行こう、となるもんだと思ってました。

観に行った人の反応や様子を聞いても、これはもう自分とは全く異なる層をターゲットにしているのかなと。

好きを同じくする者同士で交流を深めたり、会場で一体感を味わったり、そういうところに良さを見出す人々のためのイベント。それがハニフェスタだった。

 

vtuberなんて、もともとそういうコンテンツじゃないかと言われれば、まあそうなんですが。

 

全てを得ることはできません。みな、いつかどこかで取捨選択を迫られる。それを明確に悟ったのが今回、というお話でした。

名義と音楽【RAD、米津、パトラ】

(1913字)

オカマが女装したり、クリエイターが別名義で創作活動したりというのは、今になって考えると、非常にvtuber的な振る舞いです。

 

そんな話でしたね。

 

クリエイターの別名義というと、ミステリの女王アガサ・クリスティはミステリ以外も書いていて、その作者がクリスティであることを生前秘密にさせました。これは、同一人物であることを伏せた場合の別名義ですね。今の時代は、ガモウひろし大場つぐみのように、伏せてはいるが周知の事実というパターンが多い。

 

RADWIMPSなら味噌汁's。音楽の減り張りによって使い分けていた印象。『マニフェスト』と『にっぽんぽん』なんかは、わかりやすく対の関係です。ドラム山口さんの病気で、味噌汁'sとしての活動は絶望的ですが…。

RADWIMPSの曲には、アッパーとダウナーというか、陽と陰みたいな関係性のものがちらほら見受けられます。『ヒキコモリロリン』/『グーの音』や、『おしゃかしゃま』/『ハイパーベンチレーション』など。両方とも、後者は前者よりややマイナーですが、RADファンからカルト的な人気を誇ります。個人的には、 『ハイパーベンチレーション』の最後のベースが好きですね。

 

 

米津玄師も、複数の名義があります。ボカロPとしての「ハチ」、メジャーデビュー後の「米津玄師」、あと「Kenshi Yonezu」。最後のだけ使い分けがイマイチ分かりませんが。これだけビッグネームになったのだから誰か調べ上げてるだろうと思ったら、そんなこともなく。外部プロデューサーが関わったからというわけでもなさそうだし、主人公が女性の場合かしら。『アイネクライネ』に使われていることしか把握してないので、たいした推測も出来ません。

 

その『アイネクライネ』。ずっともやもやしていたのですが、あるブログの記事を読んでスッキリしました。望まれない妊娠、産むか産まざるかの歌だという解釈。割と筋が通っていて、おかげでモヤモヤが晴れました。

 

J-POPに限らずたいていの曲は「わたし」と「あなた」、一人称から二人称までで精いっぱいです。というか、だいたい惚れた腫れたの話ですからね。第三者の挟まる余地がない。RADの『五月の蝿』みたいに産まれてくる子供を想定すればまた別ですが、それもチョイ役ですし。基本は身の回りの小さな世界について、実感をこめて歌うことになります。世界平和などを歌って許されるのは、ビートルズマイケル・ジャクソンくらいなもの。

 

そういう意味では、『アイネクライネ』が本当に「わたし(母)/あなた(子)」関係だとしたら、けっこうトリッキーですね。しかも作者は男性。『Lemon』も「わたし」と「あなた」がコロコロ変わるので、トリッキーといえばトリッキー。

深読みしすぎと思われるかもしれませんが、これはごく浅い読みです。創り手の立場になって考えてみれば、理屈や組み立て、ベースになるものなしに創るほうがよっぽど大変です。もしインスピレーションに頼った神懸かり的創造を試みても、ほとんどの場合無意識が働いて、ありきたりなものしか創れません。「ハーメルンの笛吹き男」から『vivi』にまで発展させることのほうが、よほど想像力を必要とします。米津玄師の場合は、一から十まで意のままに操ってる感じがして、逆に気持ち悪いというか、それ楽しいの?って気になりますけど。まあ、それだけの天才ということか…。もしわたしが音楽の道を志していたら、この人の『マトリョシカ』を聴いた時点で諦めているでしょうね。あの段階であの曲を創れる人と同じ土俵の上で闘う自信や覚悟が、はたしてあったかどうか。

 

 

音楽といえば、周防パトラはすっかり停滞気味ですね。ライブの準備で忙しいのでしょうけど。

ひとつだけ言えるのは、今までの方向性では芽が出ないということ。音楽的に相当Yunomiをリスペクトしているようですが、同じ路線で行く限り、Yunomiを超えるのはほぼ不可能です。どこまで行ったって、Yunomiの二番煎じと言われてしまう。ただ、周防パトラの声にYunomi的音楽がベストマッチというのも否定しがたい。だからこそ、蒼月エリの存在と『蒼い蝶』で見せた新たな一面が鍵を握るはずだったのですが…。

とはいえ、ないものをあれこれ言ったって仕方ない。とにかく、周防パトラの声からもYunomi的音楽からも一旦離れて、全く毛色の違うvtuberに楽曲提供するくらいのウルトラCをかまさなければ、音楽面でのブレイクスルーは難しいかと。

 

 

名義の話はもう少し掘り下げる余地がありそうなので、またいつか取り上げましょう。それでは。

マツコの見た目と文章の変化

(709字)

私事で恐縮なのですが、ネカマ話を聞いたり読んだりするの、大好きです。同性だからこそわかる魅力的な見え方を研究し、相手に本気で恋心を抱かせる男たち。あゝ罪深い。

 

ネカマもそうですが、オカマが女装したり、クリエイターが別名義で創作活動したりというのは、今になって考えると、非常にvtuber的な振る舞いです。

 

マツコ・デラックスの素顔がとても男らしいのは周知の事実となりましたが、だからといって女装したマツコに拒絶反応を示す人を、わたしは見たことがありません。

テレビに出始めた当初はまだ男性の面影もありましたが、下ろした髪をまとめ上げて結い、メイクも地上波向けに研究されたのでしょうーー彼女自身が『月曜から夜更かし』の多田さんに向けて言ったように、「人は見られるようになると変わる」のですーー今やすっかり芸能界随一の人気タレント。

 

もともと芸能人に人一倍詳しい方でした。だいぶ昔の文章を読んだことがあるのですが、病的なほどの熱量。100ある胸の内を120伝えんというばかりの、全力豪速球という感じ。文字もぎっちり詰まった文語体で、マニッシュな文章でした。

今は違う。テレビの前と同じように、オネエ口調のくだけた調子で書いています。キャッチャーミットにすぱっと収まる、小気味よい文章です。

 

かつてあった小倉優子の「こりん星」なんかも、vtuberでいう設定と同じですね。みんな冗談だと分かった上で、うっかり口を滑らすのを楽しむ。vtuber界隈でもよくある光景です。

 

もう少し続きますが、一旦切っておきます。1000字程度に収めるとか言ったくせに、前回3000字超えてましたからね。

また次回、お会いしましょう。

やさしい世界と夢の国の共通点

(3187字)

少し前の話。当ブログに悪意あるコメントがきました。

「悪意ある」というのは、決して「わたしと意見のそぐわない」という意味ではありません。そのこと自体は大歓迎なのですが、根拠薄弱というか、個人攻撃の域を出ず。虫の居所でも悪かったのかな?と慮るくらいしか出来ませんでした。

ここから先は想像なのですが、おそらくその人は、ある記事のタイトルだけを見て「こいつは自分の好きなものを無根拠・無責任に否定した、自分の敵である」という判断を下した(実際には、そのタイトルはすぐさま否定されています)。そして、本文中から反論し得る箇所を迅速に発見し、自らも無根拠・無責任に反撃することと相成ったわけです。

 

 

コミュニケーションは、常に機能不全の可能性を孕んでいます。機能不全に陥るだけなら良い方で、たいていは誤解を招く。互いのバックグラウンド・それまで経験した物事によって、伝わり方は千差万別。特に文字伝達は情報のバリエーションが制限されるので、その傾向が強い。当然、出し手であるわたしにも責任があります。分かりやすく書くように努めてはいますが、いかんせん書きたいことが微妙なため、白黒ハッキリつかない。単純に賛成/反対、擁護/反論という話にはなりにくいのです。それよりもっと手前の「これは一体何なのか、何が起きているのか」を探っている段階ですから。

 

そのコメントには「お前は何様だ」というようなニュアンスの言葉もありましたが、皆さんとっくにご存知の通り、何様でもありません。何者でもないことに意味があります。ここに書かれているのは、名もない誰かの一意見、思考の痕跡であって、誰も何も強制しないし、無理に同意を求められることもない。わたしなりに説得力をもたせるよう心がけてはいますが、それはそれ、これはこれ。

 

「こんな風に考える人も、世の中にはいるらしい。

 

ところで、あなたはどう思う?」

 

そういうこと。

 

 

ちょうどいい機会なので、やさしい世界と匿名性の話もしてしまいましょう。

vtuberはニコ生の焼き直し」と言われて久しい。これは本当なのでしょうか?

 

結論からいうと、別物です。似ているが、決定的な部分で異なっている。前から匂わせていたのでお気付きの方も多いでしょうが、コメントの匿名性の有無です。

 

たとえば、このブログのコメントは、匿名でも可能です。「誰が」より「何を」のほうが大事だからと以前書きましたが、匿名のコミュニケーションには致命的な欠陥があります。

冒頭の悪意がどうとかではありません。中身をみれば本気で何かを伝えようとしてるかどうかはすぐ分かるので、そこに問題はない。問題は、文脈に頼れなくなるということ。なあなあのやり取り、なんとなくわかるでしょ?というのが通用しなくなる。匿名は、「その場限り」の裏返しです。ゆきずりの男女関係に、名前は必要ない。逆に知っていたら、あとあと面倒なことになります。

だから、このブログのコメントは、文章そのものが名刺代わりです。そのつもりでいて下さい(もちろん、匿名でなくても構いません)。

 

立場が人をつくる。

ブログならブログの、ツイッターならツイッターの、匿名掲示板なら匿名掲示板の文体・展開・語り口というものがあります。ブログもブログで、はてブやらアメブロやらによって変わってくるんでしょうね。匿名掲示板の闇が、さも現代のインターネット社会特有のものとして問題提起されることもありますけど、あれはとても古典的というか、昔ながらのものです。井戸端会議、噂話、陰口…日本人にとっては、とくに馴染み深いはず。インターネットがなかった時代でも、初代ポケモンのバグ技やガセ情報がいつのまにか全国の小学生に知れ渡っていたのですから、本質的にはたいして変わっていません。一つ留意すべきなのは、同じ人でも、場所の引力で全く違う内容を書くことだってあり得る、ということ。「誰が」というより、「どういうところなのか」が決定的に重要なのです。

(追記:昔懐かしの構造主義的な考えですね。温故知新。)

 

その前提でいうなら、vtuberとニコ生は別物です。YouTubeは匿名でコメントできない。ニコ生は匿名でもコメントできる。その意味では、まだツイキャスのほうがYouTubeと似た環境です。

ツイキャス主がvtuberに転生して伸び悩む理由の一つは、閉じたコミュニティになりやすいからです。匿名が許されない環境だと、どうしても常連や囲いが出来やすいし、ファンとの距離も近くなる。当人もそれを望んでいる節があります。そのツイキャス流のやり方を持ち込めば、どうしたって上手くいきません。

ニコ生もニコ生で、ほとんどの場合似たようなものですが、大手になればなるほど匿名でのコメント参加が増える。当然、殺伐としますが、閉じたコミュニティにはなりにくい。あとは配信者の腕次第です。

匿名が許されるか否かは、その環境の質を左右する。vtuber界が「やさしい世界」といわれるのは、おそらくそこに起因します。やっていることはそれまでと大して変わりません。vtuberとしてのガワはなくとも、たいてい美化されたアイコンやアバターを備えていますし。

例の事件ーー「み」をvtuber界において最も有意味なひらがな一文字に分節化したあれーーは、ニコ生的と揶揄されることも多いのですが、どちらかというとツイキャス的だと、わたしは思います。

 

vtuberリスナーがどれくらいニコ生やツイキャスリスナーと被っているのか、正直言ってよく分かりません。仮に同じ層が横流れしていたとしても、その環境に応じて姿を変えているでしょう。ニコ生で匿名の辛辣コメントをしていた人が、vtuberのところではやさしい言葉をふりまいてるかもしれない。やさしさだけでは、リスナーの成熟度を推し量れないのです。

 

非匿名性に起因した「やさしい世界」は、今や別の問題を引き起こしています。ファンアートという文化です。

それ自体は全く悪いとは思いません。純粋な好意で、あるいはクリエイティビティを刺激されて、何かを創りたくなる。微笑ましい光景です。理想的ですらある。

しかし、それが常態化すると困ったことが起こります。配信のサムネイルにクオリティの高いファンアートを使うのは当たり前で、ひどい場合には無償で動画作成を依頼する場合もあります。

閉じたコミュニティ、配信者とファンの距離が近いところで、よく起きる現象です。「あなたはわたしのファンでしょう?手伝わせてあげる」。ファンもその人のお役に立てるのがうれしくて、あるいは個人的に仲良くなるチャンスだと思い、喜んでタダ働きします。鈴鹿詩子は動画作成を外注していますが、放っておいたら向こうからどんどん「タダでやります!」というファンが出てくる。そういう世界になってしまっている。

 

端的に、無償奉仕は市場を破壊します。vtuberというブームは、限られた人たちしか恩恵にあずかれない。広く還元されずに止まっている。いわゆる中の人を、ブラックな環境でこき使う事例が後を絶たないのと同根です。ファンアートを創る人も含めて、もっと陽の目が当たるべきと思いますが、どうもその方向には進んでいない。

場合によっては、本人がその状況を望んでいるのかもしれない。お金が絡んだビジネスライクな関係より、一ファンでありたいと。それなら何もいうことはありませんが、それで世の中世知辛いとか言うのはお門違いです。進んで自らの価値を貶めているのだから。

 

 

やさしい世界は、夢の国のように、やりがい搾取で成り立っています。

労働に適切な対価を支払わないで済ませて、さも尊い美徳のように扱う風潮をvtuber界全体に作っているのは、一体誰なのでしょう…?

先週の反省とゲーム部の演者交代について

(1888字)

先週、3日に一本のペースでやってみた感想から。

 

書きたいことがたまるのも、精神衛生上よろしくないと判明。

 

下書き欄がごちゃごちゃになるというのもありますが、そもそも人間って、一度に保持できる観念の数は7つ前後に限られる…なんて話も。

あらためて調べたら、いまは4つってことに落ち着いてるそうな。作業記憶って呼び方があるんですねぇ。初めて知りました。

ともかく、頭のなかで複数のことを組み合わせて粗筋をつくるにあたって、溜め込みすぎは良くない、という結論に着地しました。

また、あまり日を跨いで文章を書くと、テンポがちぐはぐになっている気もします(もとからと言えばそれまでですが!)。

 

というわけで、2日に一本に戻します。そのかわり、もっと軽く。どうも、力んでしまう。力を抜いたモノの書き方を覚えなければ。2000字は超えないよう、できれば1000字程度に。もっとも、短ければ楽に書けるものでもなく…。

余談ですが、同じ情報量なら、短ければ短いほど読み手も書き手もハッピーなのに、ライター業とかは字数換算で給料が発生するのでしょう?面白いものですね。

 

ともかく、2日に一本、長くしすぎない。それだけ。

本当は、頭のなかの整理整頓が済んだらさっさとやめるつもりだったのですが、知らぬ間に書くことが増えている。食事中に電話が来て、うっかり目を離した麺類みたいです。ああこわい。

 

 

さて、残りは最近のニュースについてでも語りましょうか。

 

今一番ホットなのは、ゲーム部の演者交代ですかね。そもそもの関心が薄いので、大したことは言えませんが。

むしろ、あの騒動があってよく今までやってこれたなぁという印象です。契約とか後任選考とか、色々あったんでしょうね、きっと。

 

キズナアイも演者が増えて、雲行きが怪しくなってきました。基本的には、大きな金の動いている企業系のvtuberだと、中の人を変えるというのは普通に起こりうる状況になっています。大抵は3D体の動画中心なので、上は「問題ない」という判断を下しているのでしょう。

2D体で生放送主体だと、交代はほぼ無理で、中の人が辞める!となったらそのvtuberも引退です。最近だと、闇夜乃モルルですか。笹木咲は戻ってきましたが、例外中の例外。もともと椎名唯華と前世からコンビを組んできた仲でしたし、運営側が折れれば戻るつもりはあったのでしょう。そもそも、オーディションに応募して、なりたくてvtuberになったわけですし。運営側もあのクラスのタレントを手放すのは惜しいはず。にじさんじの、まあ良くいえば柔軟な運営方針が、プラスに働いた。色猫運営改め774.incのところは、運営側から内々にオファーを出して集めているので、その意味では少し事情が変わると「辞める!」となりやすいし、復帰は望めません。不可逆的な引退です。一度、稲荷くろむの復帰を匂わせるツイートを運営がしたこともありましたが、あれはなんだったんでしょうね。水面下で復帰を模索して結局おじゃんになったか、ただのミスか。笹木咲の復帰ブーストを見て、色気が出たのかも…。

 

ゲーム部の場合は、いまのところ桜樹みりあと道明寺晴翔ですか。歌で独立したチャンネルをもつ道明寺ここあ以外は、全員代わる可能性も…かなり高いと思います。道明寺晴翔の演者変更は、界隈での外交面で大きな影響が出ますね。生放送のコラボもして、方々に信頼関係を築いていましたから。特に懇意にしていた信姫は、アズマリムのときのようにアクションを起こすのか。今回は公式なアナウンスがないので、触れられないのか。最近はめっきりキレが落ちています。触れないほうが無難ですが、かといってスルーしてもキャラ的に株を下げるし…難しいところですね。

 

これまでvtuber界では、岩本町芸能社が無能な運営の名を欲しいままにしていましたが、今回の件でUnlimitedも俄然名乗りを上げましたね。売り込みが下手とか、悉く悪手を取り続けるとかいうのとは趣が異なり、全く別の、せっかく築き上げたものを壊すというベクトルにおいて。

 

その岩本町芸能社のえのぐは、とうとう外部コラボをするそうです。白藤環がコナン仲間としてここ最近アプローチし続けてきた、皆守ひいろと。1年以上遅いんですが、まあ、何事も遅すぎるということはありません。

 

 

遅すぎですが。

 

果たして、どうなることやら…。

 

 

(追記):今回の件で、様々なvtuberがそれぞれの反応をしていますね。エルフのえる、樋口楓あたりは、人柄の良さがよく出ていると思います。